2008年4月28日
NBA 空白の2年間
衝撃は93年10月6日、トレーニング・キャンプ開始の前日に起こり、全世界を驚かせ、悲しませました。スリーピートを達成したばかりのジョーダンが引退を発表、MLB(メジャーリーグ)への挑戦を表明したのです。93年までは多くの人がご存知で、私より詳しい方も多いと思いますが(笑)94年95年のNBAについて語ることができる人極端には少なくなります。ジョーダンの引退から2年間、NBAは空白の時を過ごしたからです。ジョーダンが居なくなったブルズはピッペンが引っ張りプレーオフ進出を果たしますが、セミファイナルでNYニックスに3勝4敗で破れます。前シーズン、ブルズとファイナルで戦ったサンズはバークレーとKJがケガで長期欠場となって、やはりセミファイナルでヒューストン・ロケッツに2勝4敗で敗退しました。ジョーダンに替わってNBAファイナルを盛り上げたのはロケッツのアキーム・オラジュワン(ドリームとかドリームシェークと呼ばれました)です。Hakeemと書いてアキームと読ませます。そう言へばサンズのマーリーもMajerieと書きます。生粋のアメリカ人(?)じゃないから読み方が難しいですね。ニックスはパトリック・ユーイングをセンターに据え、ガードに悪ガキ、ジョン・スタークス、そしてPFチャールス・オークレー等の身体を張ったディフェンスが特徴のチームです。コーチはレイカーズを2連覇させた名匠パット・ライリー。対するロケッツのメンバーは? ハッキリ言へばオラジュワン以外はオーティス・ソープ、バーモン・マックスウェル、ケニー・スミスの小粒なラインナップです。そうそうロバート・オーリー(現スパーズ)とサム・キャセール(現セルティックス)の名前もありました。 ユーイングとオラジュワンは大学時代にジョージタウン大とヒューストン大として84年にNCAAファイナルで対戦しています。その時は84-75でジョージタウン大が優勝して、ユーイングに軍配が上がりました。しかし今回は逆です。4勝3敗でヒューストン市として初めてのプロスポーツリーグのチャンピオン・チームを生み出しました。ハイライト
アキーム・オラジュワン。これで213cmですから。
翌95年、ロケッツは強力な補強を行いました。地元ヒューストン大出身でオラジュワンと同期で、ドリーム・チーム・メンバーのクライド・ドレクスラー(200cm)をトレードで獲得しました。そしてこの年シーズン終わり近く、ジョーダンが野球からカムバックしてきました。とは言へ1年半のブランクは長すぎて、流石のジョーダンも完璧な状態でプレーオフには臨めず、セミファイナルで若い”シャック”シャキール・オニール、ペニーことアンファニー・ハーダウェーを擁するオーランド・マジックに2勝4敗で破れてしまいます。イースタン代表はペーサーズを4勝3敗で下したマジックが初のファイナル進出を決めました。一方ウエスタン・カンフェレンスはディフェンディング・チャンピオンのロケッツが、提督デビッド・ロビンソンを擁するサンアントニオ・スパーズを4勝2敗で退けてNBAファイナルに進出しました。マジックvs.ロケッツは言い換えるとシャックvsオラジュワン、ハーダウェーvsドレクスラーとも言へます。若さと才能あふれるシャックとペニー・コンビ対NBA11年目のクライド・ドリームのベテランの対戦です。 若さあふれるマジックがスタートを制して前半は57-37と大きくリードしました。しかしその後ロケッツはケニー・スミスが驚異的に3Pを決めて追い上げます。そして4Qも残り10.7秒のところでマジックが110-107とリードしていました。その上フリースローを貰っているので、逃げ切りの可能性は大です。ところがここからマジックの悲劇が始まります。10.7秒の間に4回のFTを貰っていながら、若いニック・アンダーソンが全部落としてしまいました。あと1.6秒と迫った時、ロケッツのスミスに3Pを入れられ同点とされてしまいます。そして逆転の期待を込めたデニス・スコットのシュートはロケッツのオーリーがブロックされました。 オーバータイムに突入です。オーバータイムはシーソーゲームとなりましが、最後を決めたのはオラジュワンです。ロケッツに加入したばかりのドレクスラーがレイアップショットに行きましたが入りません。リングの上に跳ね上がったボールを、オラジュワンがシャックの手を制してコントロールして押し込みました。得点は120-118、時計は既に1秒を切りました。勝負の分かれ目となったのはアンダーソンのフリースローでした。怖いものです。たった10秒間の出来事で、局面がガラリと変わってしまったのです。そこからマジックの勢いはなくなって行き、若いチームは立ち直ることなく0勝4敗のスイープでロケッツのツーピートのお膳立てをすることになりました。 この頃は、まだシャックもスマートでした。オーリーのクラッチタイムの活躍が目に付きます。
ドレクスラーはやっとリングを指にはめることができました。そしてまた、ジョーダンが帰ってきたNBAの新しい歴史が始まるのです。
アキーム・オラジュワン。これで213cmですから。
翌95年、ロケッツは強力な補強を行いました。地元ヒューストン大出身でオラジュワンと同期で、ドリーム・チーム・メンバーのクライド・ドレクスラー(200cm)をトレードで獲得しました。そしてこの年シーズン終わり近く、ジョーダンが野球からカムバックしてきました。とは言へ1年半のブランクは長すぎて、流石のジョーダンも完璧な状態でプレーオフには臨めず、セミファイナルで若い”シャック”シャキール・オニール、ペニーことアンファニー・ハーダウェーを擁するオーランド・マジックに2勝4敗で破れてしまいます。イースタン代表はペーサーズを4勝3敗で下したマジックが初のファイナル進出を決めました。一方ウエスタン・カンフェレンスはディフェンディング・チャンピオンのロケッツが、提督デビッド・ロビンソンを擁するサンアントニオ・スパーズを4勝2敗で退けてNBAファイナルに進出しました。マジックvs.ロケッツは言い換えるとシャックvsオラジュワン、ハーダウェーvsドレクスラーとも言へます。若さと才能あふれるシャックとペニー・コンビ対NBA11年目のクライド・ドリームのベテランの対戦です。 若さあふれるマジックがスタートを制して前半は57-37と大きくリードしました。しかしその後ロケッツはケニー・スミスが驚異的に3Pを決めて追い上げます。そして4Qも残り10.7秒のところでマジックが110-107とリードしていました。その上フリースローを貰っているので、逃げ切りの可能性は大です。ところがここからマジックの悲劇が始まります。10.7秒の間に4回のFTを貰っていながら、若いニック・アンダーソンが全部落としてしまいました。あと1.6秒と迫った時、ロケッツのスミスに3Pを入れられ同点とされてしまいます。そして逆転の期待を込めたデニス・スコットのシュートはロケッツのオーリーがブロックされました。 オーバータイムに突入です。オーバータイムはシーソーゲームとなりましが、最後を決めたのはオラジュワンです。ロケッツに加入したばかりのドレクスラーがレイアップショットに行きましたが入りません。リングの上に跳ね上がったボールを、オラジュワンがシャックの手を制してコントロールして押し込みました。得点は120-118、時計は既に1秒を切りました。勝負の分かれ目となったのはアンダーソンのフリースローでした。怖いものです。たった10秒間の出来事で、局面がガラリと変わってしまったのです。そこからマジックの勢いはなくなって行き、若いチームは立ち直ることなく0勝4敗のスイープでロケッツのツーピートのお膳立てをすることになりました。 この頃は、まだシャックもスマートでした。オーリーのクラッチタイムの活躍が目に付きます。
ドレクスラーはやっとリングを指にはめることができました。そしてまた、ジョーダンが帰ってきたNBAの新しい歴史が始まるのです。

