2008年4月22日

Three-Peat(三連覇)なるか?シカゴ・ブルズ

93年は個人的にも思い出の多いシーズンでした。私が初めてNBAファイナルを見に行った年なんです。
現在ファイナルの開始日はシーズン前から決まっていますが、当時は行き当たりばったり(笑)だったので、航空券やホテルの予約等が簡単ではなかったので、日本から行くのは難しかった時代でした。

サンズvs.ブルズのファイナルは、ブルズのスリーピート(3連覇)がかかったシリーズでした。日本では聞きなれませんが、アメリカスポーツ界で良く使われる言葉に「Dynasty(王朝)」と言ふ言葉があります。長期政権と言ふか、1チームが長く勝者であり続けることです。
プロ野球で言へば、ウン十年前の巨人軍です。それには3連覇が条件と言はれているので、ブルズはこの年が正念場でした。

サンズはPGにKJことケビン・ジョンソン、SGダン・マーリー、SFリチャード・デュマス、PFチャールズ・ダークレー、Cマーク・ウエストがスターティング・ラインナップで、Fトム・チェンバースとGダニー・エインジ(現セルティックス社長)がベンチの主な控えメンバー。
対してブルズはPGにBJアームストロング、SGマイケル・ジョーダン、SFスコティー・ピッペン、PFホーラス・グラント、Cビル・カートライトのスタメンとGジョン・パクソン、Cスコット・ウイリアムスが主なバックアップ陣です。

ジョーダンとサンズのバークレーはプライベートで仲が良く、ともに人気者ということもあって、興味深いカード。このファイナルは今後のNBAにも大きく影響を与えた「アジャスト」がキーワードになったシリーズでもありました。
シーズンはサンズ62勝20敗、ブルズ57勝25敗で、共に高い勝率でしたが、サンズのシーズン成績が上のため、ホームコート・アドバンテージはサンズが持っており、フェニックスから始まりました。
その敵地でサンズの主力バークレーとKJを抑えたブルズは2連勝を挙げ、意気揚々とシカゴへ凱旋しました。不利なアウェーで連勝して、今度は優位な地元シカゴと言ふことで、町中が「Sweep,Sweep(全勝で勝ち抜け)!」と大騒ぎです。超満員となったシカゴ・スタジアムにはSweepには掃くとか掃除する意味もあることから、ゲーム3では箒を持って来場するブルズ・ファンもあらわれました。

ところがそれほど甘くないのが勝負の世界です。
サンズのウエストポール・コーチはディフェンスのマッチアップを換えました。動きの早いジョーダンに小さいながらクイックネスのあるKJをつけると言ふアジャストを行い、その他のマッチアップも全て代える大胆な作戦に出ました。
その為かゲーム1・2で不調だった得点源のマーリーとKJに当たりが戻り、トリプル・オーバータイムの末121-129でブルズを下し、1勝目をあげました。

続くゲーム4。バークレーのローポストの1on1に対し、ブルズはダブル・チームを仕掛けると、バークレーはシュートせずに外へパスをさばき3Pシュートを打たせます。
それに対してブルズはローテーションして外のシュートを楽に打たせないようにとゲーム内でアジャストをします。そんな頭脳ゲームの中、唯一人ブルズはジョーダンがエンジン全開です。

最後はジョーダンがレイアップでバークレーからファールを奪いand1を決めて残13秒で5点差を付け逃げ切り、王手をかけました。ジョーダンは前ゲームの44得点を上回る55得点を挙げました。

ゲーム5のサンズの合言葉は「シカゴの街を救え!」です。可笑しいでしょう。サンズが勝てば騒ぎは起こらないので、シカゴの街を救える、と言ふ意味なんです。このままシカゴでブルズが優勝したら、盛り上がり方が半端じゃなかったため、大騒動になることは必至と言はれていました。その為にTVやラジオ新聞等で「騒動は起こさないように」と呼びかけもあったほどです。
街中の商店は商品を片付けたり、ショーウインドーにテープを張ったりという予防策をとっていて、我々日本人はそれを見て驚いたものです。

サンズはディフェンスに勝機を見出そうと、勝ったゲーム3と同様にジョーダンにKJをマッチアップさせ、時にはダブル・チームをして41得点に抑えました(笑)。ジョーダンには50得点されなければディフェンスの勝ちなんです。

シカゴでの3戦中2勝をあげ、シカゴの街を救ってフェニックスに帰ってきたサンズは地元の大声援を受けてゲーム6に臨みました。
しかしブルズが常にリードする展開で、第2Qでは11点差も付けられ、最終Qに入るときは8点もビハインドしていました。しかしこのまま地元で相手の優勝を見たくないサンズは必死のディフェンスで追い上げをはかり、残り2分55秒には逆転して96-92と4点のリードを奪いました。

しかしブルズの強さは最後の土壇場で発揮されます。
残り14秒、98-96でサンズのリード。これを守りきれば、サンズは有利なホームでの最終ゲームへ持ち込めます。
この場面なら、誰もがジョーダンのシュートと考えますが、KJにタイトにディフェンスされている彼は無理をしません。トップに上がってきたピッペンにボールを回します。
ピッペンは素早く反転してゴールへドライブすると、そこへ左下からグラントをマークしていたウエストがカバーに来ました。ピッペンはショートコーナーにノーマークになっているグラントを見つけパスを通します。

グラントはシュートを入れれば同点になるけれど、時計は止まり、ボールは相手のスローインになります。8秒残っていれば相手にシュートを決められる可能性は非常に高くなります。その上リングまでの距離は2mちょっと。ボードと平行のポジションではバンクショットも出来ません。ゴルフで言ふ「外し頃」の難しい距離なんです。
それなら3Pシュートで逆転を狙ったほうが良いと考えます。しかし3Pシュートは簡単に入るものではありません。精々40%強の確率です。

3Pエリアでノーマークだったパクソンを知っているグラントは、躊躇せずパクソンへパスしました。彼の3Pの確率はブルズ最高を誇る46%です。そして確率だけではなく、クラッチ・シューターとしてもチームメイトから信頼されています。
パクソンの右手から放たれたボールは綺麗なアーチを描いてリングに向かってゆきます。
「Nothing but net」‐‐ボールはリングにカスリもせず、ネットに吸い込まれました。
この時、時計は3.1秒を表示していました。




ブルズは劇的な逆転劇でスリーピートを果たし「シカゴ王朝」を築き上げました。

しかしその後、世界を揺るがす衝撃が待っていました。



historivia at 13:02│Comments(0)TrackBack(0) 

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プロフィール
あんどうたかお
日本初のバスケットボール専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、 バスケットボール用品専門メーカー「サカイ」のデザイナーとして活躍。ユニフォームデザイナーとして 高校からスーパーリーグまで、ほとんどのデザインを手掛けた。 NBAの伝道者として知られ、NBAの黎明期から執筆活動を行い、NHK BSでも放映初期から解説者として 活躍するなどその造詣は深い。現在はデザイナー業、執筆活動のかたわらNBAでプレーすることを 夢見る若者を支援するNPO「リーチ ユア ドリーム オブ フープ」を主宰している。
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