2008年4月9日
転換期、1991-1992シーズン
初優勝を飾ったブルズですが、91-92シーズンは世界のバスケット界ではさまざまな出来事がありました。
まずは91年11月、シーズンが始まる直前の出来事です。日本でも大きく報道されたマジック・ジョンソンのHIV感染とそれによるNBAの引退発表。これからNBAのシーズンが始まるぞ、とワクワクしていた時だっただけに、バスケット愛好家のみならず全米がショックを受けた出来事です。マジックは引退して1ゲームもプレーしてないのにもかかわらず、ファン投票でジョーダンを抑えて最多の投票を獲得したため、オールスター限定でカムバックしました。
ゲーム自体は、ディフェンスを一生懸命にやらない、いわゆるオールスターゲームの典型的なもので、内容は凡庸なものでした。ジョーダンが少しマジにやっていた程度です。
盛り上がったのは最後の1分ほど。先ずプライベートでとても仲の良いアイザイア・トーマスがマジックに絡みました。華麗なドリブル・テクニックを魅せるするアイザイアとディフェンスするマジック。他の選手は気を利かせてアイソレーション(孤立)します。
次はジョーダン、真面目な性格が良く出たプレーです。ドリブルで舞台が整うのを待つジョーダン。大スター同士のマッチアップに場内はスタンディング・オベーション。しかしジョーダンは遊びも無くストレートに勝負しています。相手は引退するんだから、花を持たせてやれよ、って感じです(笑)。
最後もアイザイアでした。ドリブルするマジックにマッチアップします。残り16秒、トップのやや右から打ったマジックの3Pシュート。大きなアーチを描いてボールはリングへ。偶然にも、私が座っていた記者席とマジックそしてリングが一直線上です。ボールは真直ぐにリングに向かって行くのが見えました。「入る」と思ったとおり、ボールは綺麗にリングに吸い込まれて行きました。
「Nothing but net」と言ふバスケットの言葉があります。正にそのとおり。ボールはリングにかすらず、ネットだけを揺らして西軍に153点目を与えました。
その前まではクライド・ドレクスラーが最多得点だったので、MVPがほぼ決まっていたのを、この3Pシュートでマジックが強引に引き込んだイメージです。やはりスーパースターなんですね。
シーズンをリーグ最多勝で終えたのはシカゴ・ブルズで、2位はポートランド・トレイルブレイザーズでした。とは言えブルズですら簡単にはファイナルへは進ませてくれません。行く手を阻むのは、パトリック・ユーイング、ジョン・スタークス、マーク・ジャクソン等のNYニックスです。この頃のニックスは一時のピストンズのように荒っぽいディフェンスと向う気の強いメンバーが揃ってました。ニックスを4勝3敗でやっと下し、キャブスも4勝2敗で破り2年連続のファイナル進出です。
一方ブレイザーズは何てことなくレイカーズ、サンズ、ジャズを下しての進出となりました。
ファイナルゲーム1はとんでもないことが起こりました。元々ジョーダンは外からのシュート、特に3Pシュートに関しては達人ではありません。それが、前半だけで6本も決めちゃったんです。82ゲームあるシーズン中の合計がたったの27本。気持ち良かったんでしょうね。6本目が入った時は、流石のジョーダンも肩をすくめていました(笑)。
勝負師だけあって、得手不得手は別にして、自分がゾーンに入っていると感じたら、つまり長いシュートが好調と思ったら、打ち続けたほうが良いと考えて積極的に打ったと言っていました。
ゲーム2は敗れましたが、ポートランドへ移動してのゲーム3はブルズが取って2勝1敗にします。
結局ポートランドで2勝したことが大きく、ブルズは6戦で優勝を決めますが、この年もコーチのフィル・ジャクソンは大胆な手を打ってきました。13点も負けているゲーム6の4Qのメンバーに、ジョーダン抜きで4人の控え選手を投入しました。元気な若い4人が走り回ったお陰で、3分半ほどで3点差まで追い上げたのです。そこでジョーダンが登場、疲れたブレイザーズ相手に、ピッペンと二人で19得点して見事逆転勝ちしてNBA2連覇しました。
このシーズンはこれで終りではありません。NBAおよび世界のバスケット史上、特筆すべきことがありました。世界戦略を図るプロのNBAとアマチュア世界連盟のFIBAが手を結んで、アマチュアの祭典であるオリンピックにプロのNBA選手が出場できるようにしたのです。
「ドリームチーム」と呼ばれるアメリカ代表、いやNBA代表の誕生です。
HIV感染で引退したマジックが中心となってスター選手を集めました。腰が悪く引退寸前のラリー・バード、既に金メダルを1個持っており、出場には後ろ向きだったジョーダン達を説得したのがマジックです。
ヨーロッパではNBAのテレビ中継はそこそこ盛んで、多くのバスケット愛好家は見ており、特に各国の代表選手クラスは見ていたようで、テレビで見ていたNBA選手を相手に戦ったわけです。雲の上の存在のNBA選手相手に、各国の選手は、アメリカとのゲーム前に記念撮影が当たり前になるほどでした。中にはベンチからカメラを構えてジョーダンを撮影する選手も。またこれをテレビが全世界に放映したため、バスケットとNBAの面白さが全世界に広がり、NBAが世界中に知られることになった最大の要因、とする専門家は多いですね。
そんなようなことで、勝負は戦前から判っており、文句なしにアメリカが優勝しました。NBAにとって、また世界のバスケット界にとって有意義な長い1年でした。
