2008年1月31日
ラリー・バードとマジック・ジョンソン(2)
80年ファイナル、NBA入りしたシーズンに優勝して、かつMVPまでも獲得したマジック・ジョンソンに対して、ラリー・バードも遅れを取ったわけではありません。
翌80-81年シーズンはNBAファイナルでヒューストン・ロケッツを下し、彼は初めて優勝を味わいました。
ロケッツは高校から直接NBA入りしたモーゼス・マローン、その後ドリーム・チームのコーチも務めた豪快なルディー・トムジャノビッチ、現クリッパーズ・コーチの頭脳派ガード、マイク・ダンリービーと言ふ、今考えると豪華なメンバーでした。
セルティックスは79年にバードを獲得して、ガードに小柄ながらシュート力もガード力も持つネート・アーチボルド、機動力を持つ小柄なセンターのデーブ・コウエンズ、得点力を誇る大型フォワードのセドリック・マックスウェル、ついでに言えば晩年のピート・メラビッチが途中加入してきました。
そして80年夏、後にビッグ3と呼ばれるメンバーのロバート・パリッシュとケビン・マクヘイルを獲得した足固めが、81年の14回目の優勝に繋がったわけです。
この80-81年シーズン、マジックは開幕1カ月ほどで左膝を怪我して45ゲームを欠場したため、プレーオフでは上のロケッツに第一ラウンドで敗れてしまいます。
マジックのレイカーズが勝った翌年にバードのセルティックスが優勝したこと、これがセルティックス−レイカーズの黄金時代が到来したというわけではありません。
セルティックスの所属するイースタン・カンファレンスにはDr.J率いるフィラデルフィア76ersが立ちはだかっていました。
Dr.Jことジュリアス・アービングはABAのスーパースターでした。身体能力を活かした華麗なダンクと得点力が有名ですが、他に得点力のあるガードのアンドリュー・トニー、シュートの上手い大型白人フォワードのボビー・ジョーンズ、頭脳派ポイントガードのモーリス・チークス(現シクサーズ・コーチ)、ダリル・ダウキンスが居ました。
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ところで、現在のボードはリングとボードを支える金具や支柱と一体化されていますが、それはこのダウキンスのお陰です。
79年11月シクサーズvs.キングス戦で彼は豪快なダンクをかませました。そこまでは良いのですが、ダンクした後もリングを掴みっぱなしにしました。115kgの彼が弾みをつけてリングにぶら下がったものですから、全体重が掛かったリングの付け根は堪ったものではありません。
当時のリングはプラスティックのボードにビスで直接留めてあっただけなので、そこからボードが粉々に砕けてしまって雨のようにコートに降り注ぎました。当のダウキンスはどうしていたかと言うと、リングを握ったまま、興奮してうめいていました(笑)。
このシーンはテレビで全米に何千回と流され、歴史的シーンとなりました。
ちなみにこのダンクのことを彼は「ザ・チョコレートサンダー・フライング、ロビンザイン・クライング、ティース・シェーキング、グラス・ブレーキング、ランプ・ロースティング、バン・トースティング、ウァム・バン、グラス・ブレーカー・アイ・アム・ジャム」と名付けたそうです、意味が判りませんね(笑)
その後リングの背面に鉄板が補強され、現代は支柱と直接つないで、大きな負荷に耐えられる仕組みになったのです。
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レイカーズは得点力と機動力のあるセンターのボブ・マッカドゥーを獲得し、マジック、ノーム・ニクソン、ジャマール・ウィルクス、ミッチ・カプチャック、カリーム・アブドル・ジャバー、マイケル・クーパーと言ふメンバーに、74、75、76年に得点王となったマッカドゥーがベンチスタートという強さで、ファイナルでシクサーズを4勝2敗で下し、ミネアポリス時代から数えて8回目のNBAチャンピオンとなりました。
82-83年シーズン、レイカーズは大学チャンピオンUNC(ノースカロライナ大)から快足フォワードのジェームス・ウォージーをドラフト全体1位指名で獲得しました。これがのちにレイカーズの代名詞となったショー・バスケットの礎となります。
とは言へ、ウォージーを獲得したからといって優勝出来るほど世の中は甘くありません。
レイカーズがウォージーを獲得すれば、前シーズン敗れたシクサーズはロケッツからマローンをトレードで獲得しました。それまでリバウンド王を3回(合計では6回)獲得している7シーズン目の優勝経験を持つベテラン仕事人です。
アウトサイド陣には優秀なメンバーが居るところへの補強です。ジグソーパズルに例えれば、まさに最後の1ピースが嵌ったと言ふことです。
しかし、結局はシクサーズがレギュラーシーズン終了1週間前にウォージーが足を骨折したレイカーズをファイナルでスイープ(4勝0敗)して、67年にウォルト・チェンバレンが優勝した時以来16年ぶりの優勝を果たしました。
83-84年シーズンから、いよいよレイカーズ−セルティックス時代、またはマジック−バード時代が本格的に幕を明けます。
全米が待ち焦がれていたマジック-バードのNBAファイナルでの初対決です。
セルティックスはレギュラーシーズンをディフェンディング・チャンピオンのシクサーズに10ゲーム差をつけ、62勝20敗と言ふ圧倒的な強さを示しました。
一方レイカーズはアブドゥル・ジャバーが4月5日にチェンバレンの持つ生涯個人得点記録31,419点を抜き去り、単独得点王となりました。
マジック-バード時代になって始めてのセルティックス-レイカーズと言ふ伝統チーム同士のファイナルは、プロ野球で例えるなら巨人-阪神が最終戦でリーグ優勝を賭けて戦うようなものです。大いに盛り上がり、期待にそぐわぬ熱戦を展開しました。
ゲーム1(@ボストン)
115-109でレイカーズが1勝目をあげました。
ゲーム2(@ボストン)
残18秒に115-113でレイカーズがリードして、尚且つレイカーズのボール。誰もがレイカーズのスイープが頭によぎった時、セルティックスが奇跡を起こしました。セルティックス・マジックとでも言ふのか、絶体絶命になると神様が手を差し伸べてくれます。65年のシクサーズ相手のイースタン・ファイナルでは残り5秒で相手スローインをジョン・ハブリチェックがスティールして1点差を守り切ったプレーは伝説となりました。今回は、ジェラルド・ヘンダーソンが残18秒にパスをスティールして速攻を決め、オーバータイム(延長)に持ち込み、見事逆転勝ちしました。
ゲーム3(@ロサンゼルス)
137-104 マジック21アシストを記録。
ゲーム4(@ロサンゼルス)
セルティックスは前のゲーム終了後の記者会見で「意気地がない」とバードが発言したことに発奮して、身体を張ったプレーでオーバータイムの末に129-125で勝利し、2勝2敗のイーブンに持ち込みました。アウェーでの勝利は大きいですね。
ゲーム5(@ボストン)
ザ・ガーデン(ボストン・ガーデン)の魔物が出ました。当時のホームコートのザ・ガーデンは古い建物に加えてセルティックスの伝統的な強さ、神がかり的な同点、逆転劇が多いことから、相手チームは「あそこには魔物が住んでいる」とさえ言います。
この6月8日は暑い日でしたが、古いこの建物にはエアコンがありません。場内は36度を越す暑さです。その上、どう言ふ訳だかアウェー・チームのロッカー・ルームには扇風機すら置いていません。勿論ホームのセルティックスのロッカー・ルームには置いてあります(笑)。
結局、121-103でセルティックスが勝ちました。
ゲーム6(@ロサンゼルス)
119-108でレイカーズが勝ち、3勝3敗でいよいよ最終ゲームを迎えます。
ゲーム7(@ボストン)
地元へ帰ればセルティックスは俄然強さを発揮します。普段は精神的支柱のセドリック・マックスウェルが24得点8リバウンド8アシストの大活躍、111-102で15回目の優勝を飾りました。
NBAはこのシーズンからプレーオフ出場チーム数が12から16へと増えました。それに伴い、第1ラウンドは3勝先勝制となりました。また、コミッショナーが、ラリー・オブライアンからデビッド・スターンに代わります。
そしてドラフト会議で全体第3位で、あの「神様」が指名されました。
続きます。

