2007年12月19日

70's NBA(前編)

カリーム・アブドル・ジャバーが活躍したのは20年間ですから、彼一人だけを取り上げるわけには行きません。取りあえず70年代についてお話します。

60年代はビル・ラッセルのボストン・セルティックスが王朝として君臨してましたが、崩壊後は戦国時代となりました。

<1969-70> 
前年セルティックスにディビジョン・ファイナルで敗れたNYニックスが台頭して来ました。208cmはセンターとしては決して大きくありませんが、強い身体と精神でニックスをリードします。
ガードにシルバーのロールスロイスを運転する伊達男ウォルト・フレイジャー、フェードアウェーの元祖ディック・バーネット、フォワードに引退後上院議員となった学問の名門プリンストン大出身のビル・ブラッドレー、ホワイトソックスでピッチャー経験のあるシューターで尚且つディフェンスの上手いデーブ・デブッシャー等でシュート力を持ちながらもパスを多用するバランスの取れたチームでした。

プレーオフは第一ラウンドでバルチモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)に4-3でかろうじて勝ち、次のディビジョン・ファイナルではフィラデルフィア76ersを4-1で下してきたアブドル・ジャバー1年目のミルウォーキー・バックスと対戦して4-1で圧勝してNBAファイナルへ進出しました。

当時はまだ14チームで、カンフェレンスは無く、プレーオフへは各ディビジョン4チームが出場できました。

一方ウエスタン・ディビジョンではシカゴ・ブルズを4-1で破ったアトランタ・ホークスが、フェニックス・サンズを4-3で下したロサンゼルス・レイカーズとディビジョン・ファイナルを戦いましたが、4-0とレイカーズにスイープされました。

ジェリー・ウエスト、ウィルト・チェンバレン、エルジン・ベイラーという殿堂入りを果たしたスーパースターが揃うレイカーズとニックスの対戦は伝説に残る死闘でした。
お互いに勝ち負けを交互に繰り返す接戦となり、ゲーム5ではニックスが勝って王手をかけたものの、大黒柱のリードが足の肉離れで戦列を離れたため、ゲーム6はチェンバレンが活躍して3-3と逆王手をかけられまれました。

最終のゲーム7、ニックスは選手ですらロッカーを出てもリードが出場出来るかどうか知りませんでした。不安に駆られながらのアップですが、ティップ・オフ直前にリードがコートへ現れたのです。
足を引きずりながら入場すると地元マジソン・スクエアー・ガーデンは騒然としてそれが歓喜の嵐に変わります。
ゲームが始まるとリードがニックスの最初の2ゴールを決めたから堪りません。これで一気にニックスのペースとなって113-99と大差をつけて初優勝を決めました。

<70-71>
このシーズンからバッファロー・ブレーブス、クリーブランド・キャバリアーズ、ポートランド・トレイルブレイザーズの3チームがエクスパンション・チームとして、新たに加わり17チームとなりました。
これによって、今まで東と西の2つのディビジョンに分けられていたものを、東西二つのカンフェレンスにして、その中をさらに二つのディビジョンに分けました。
イースタン・カンフェレンス<アトランティック・ディビジョン、セントラル・ディビジョン>
ウエスタン・カンフェレンス<ミッドウエスト・ディビジョン、パシフィック・ディビジョン>

伝説のシューター、ピート・メラビッチ、ロウ・ハドソン、ウォルト・ベラミー、ウォルト・ハザード、ビル・ブリッジス、ジェリー・チェンバー等そうそうたるメンバーのアトランタ・ホークスを4-1で破りカンフェレンス・ファイナルへ進出したディフェンディング・チャンピオンのニックスを待ち構えていたのは、ガードのアール・モンローとリバウンドの鬼と言はれたウェス・アンセルドを擁するブレッツでした。ブレッツがゲーム7を93-91と接戦でものにしてNBAファイナルへ。

ウエスタン・カンフェレンスはブルズを4−3で破ったレイカーズを、サンフランシスコ・ウォリアーズ(現ゴールデンステート・ウォリアーズ)を4-1で下したバックスが迎え撃ちます。
バックスはこのシーズンからミスター・トリプル-ダブルと呼ばれたビッグ・ガードの先駆けオスカー・ロバートソンを加え、アブドル・ジャバー+ロバートソンの強力タッグを結成です。
アンセルドが良いデフェンダーと言っても、身長差が17cmもあるアブドゥル・ジャバーに敵うわけがありません。4-0であっさりとスイープされました。
バックスは創立3シーズンで優勝を果たしました。

<71-72>
ホークスを4-2で下してプレーオフのカンフェレンス・ファイナルに進出したセルティックスはブレッツを4-2で破ったニックスに4-1と相手にされませんでした。

ウォリアーズを4-1で破り、ブルズをスイープしたレイカーズとウエスタン・カンフェレンス・ファイナルで対戦したディフェンディング・チャンピオンのバックスでしが、接戦が多い戦いながら4-2で軍配はレイカーズに上がりました。

レイカーズはシーズン開幕早々にベイラーが引退しました。セルティックスが常に立ちはだかり、一つもリングを獲得出来ないで選手生命を終わたわけです。
その上ウエスト(33)とチェンバレン(35歳)も決して若くありません。それを救ったのが新しくコーチに就任したビル・シャーマンです。とは言へシャーマンはセルティックスのOBで45歳とまだ若いです。
巨人のOBが若くして阪神の監督になるようなもので、当初レイカーズの選手たちは馴染めなかったようですが、前向きで積極的な人間性とウエスト、チェンバレンの周りを職人で固めたことが功を奏して最強と言へるチームとなりました。
ウエストとゲイル・グッドリッチのガードが積極的にシュートして、チェンバレンとハッピー・へアーストーンでリバウンドを取り捲りました。このシーズンはNBA新記録となる69勝をあげ、その中には33連勝という、これまた人類未踏の大記録も打ち立てたのです。

ファイナルの相手は2年前と同じニックスです。
前回は4-3で惜敗しましたが、今回はあのリードは怪我で欠場です。レイカーズは緒戦を114-92で落としただけでその後は負けなしで、ミネアポリスからロスアンゼルスへ移って来てから初の優勝となりました。


<72-73>
ロバートソンが衰えたバックスを4-2で下したウォリアーズでしたが、ジェリー・スローン(現ユタ・ジャズHC)、率いるブルズに4-3大苦戦を強いられたレイカーズとウエスタン・カンフェレンス・ファイナルで対戦しましたが、4-1とあっさりと敗退しました。

イースタン・カンフェレンスではセルティックスが若いジョジョ・ホワイト、デーブ・コウエンスの加入で元気になってプレーオフ第一ラウンドでアトランタ・ホークスを4-2で破りました。
ニックスはブレッツを4-1で下し、セルティックスと対戦しますが、4-3でどうにか勝ち上がりました。セルティックスに復興の兆しが見えました。

ニックスは怪我の多いリードの控えにジェリー・ルーカスを起用します。またガードにはライバル・チームのブレッツからアール・モンローをトレードで獲得して層を厚くしました。現レイカーズのフィル・ジャクソン・コーチもこのとき控えで居ました。

ファイナルのレイカーズvsニックスはこの4年間で3度目の組み合わせです。お互いに手の内を知り尽くしたチーム同士で、緒戦こそレイカーズが取ったものの、その後はニックスが4連勝でニックスが2度目の優勝となりました。


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豆トリビア-1
ビル・ブラッドレーはプリンストン大を卒業した後、NBAへは行かずイギリスのオックスフォード大へ留学しました。ちなみに彼は東京オリンピックのアメリカ代表で来日してます。

豆トリビア-2
オスカー・ロバートソンはシンシナティー・ロイアルズ時代にコーチのボブ・クージーと仲が悪く、トレードを志願してバックスへ来ました。



historivia at 15:05│Comments(0)TrackBack(0) 

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プロフィール
あんどうたかお
日本初のバスケットボール専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、 バスケットボール用品専門メーカー「サカイ」のデザイナーとして活躍。ユニフォームデザイナーとして 高校からスーパーリーグまで、ほとんどのデザインを手掛けた。 NBAの伝道者として知られ、NBAの黎明期から執筆活動を行い、NHK BSでも放映初期から解説者として 活躍するなどその造詣は深い。現在はデザイナー業、執筆活動のかたわらNBAでプレーすることを 夢見る若者を支援するNPO「リーチ ユア ドリーム オブ フープ」を主宰している。
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