2007年12月7日
カリーム・アブドゥル=ジャバー
話は少し遡って1967年の話です。この年は東京ユニバーシアードが開催されましたが、日本バスケット関係者の中には密かに淡い期待を抱いていた人達がいました。
ルー・アルシンダーがメンバーに選ばれて来日するのではないかと言ふ期待です。
しかしこれは見事に裏切られました。黒人社会およびスポーツマンたちがアメリカの社会に反発し始め、各種スポーツイベントでボイコットや抗議行動が出始めたからです。
ルー・アルシンダーも、先頭に立つことはなくても代表チームへの参加を拒否することで態度を示しました。翌年開催されたメキシコ・オリンピックにも出場していません。
そして72年、彼はブラックモスリムに改宗して名前を「偉大な神の僕」を意味する「カリーム・アブドゥル=ジャバー」と変えた、
と書けば判ったでしょう。アルシンダーは、かの有名なジャバーです。
ジャバーのバックスは、71-72シーズンウォルト・チェンバレン率いるLAレイカーズにカンフェレンス・ファイナルで敗れ、翌シーズンにはオスカー・ロバートソンの衰えもあってかNYニックスに優勝をさらわれました。
その後はセルティックス、ウォリアーズ、セルティックス、ブレイザーズ、ブレッツ(現ウィザーズ)、ソニックスと毎年賽の目のように優勝チームが替わる戦国時代へと突入し、これが78年まで続きました。
これに終止符を打ったのはレイカーズとセルティックスです。
79年、マジック・ジョンソンがレイカーズに入団します。
そこには、すでにアブドゥル・ジャバーがいました。
バックスで優勝できず、ロバートソンも引退してしまい、寒いミルウォーキーに居る必要はなくなったアブドル・ジャバーは、75年にトレードを志願しました。本当は故郷NYへ帰りたかったのですが、ニックスには交代要員が居なく、大学時代をすごしたLAへ帰ることになったわけです。
ジャバー程のスーパースターのトレードですから、交代要員は相当の大物か、頭数になります。
レイカーズからはC エルモア・スミス、G/F ブライアン・ウィンタース、F デイブ・メイアーズ、F/G ジュニア・ブリッジマンという中堅以上の力を持った4人がバックスへ行くことになりました。ちなみにバックスは翌シーズン、ウエスタン・カンフェレンス5位とまあまあの成績を収めます(笑)
それほどの戦力を失ったレイカーズでは、アブドゥル・ジャバーが入っても、周りのヘルプが無く、キツイです。翌シーズンは前年より10勝多い勝ち数を上げ、翌シーズンもカンフェレンス・ファイナルまで進出しましたが、後一歩及びませんでした。そこにマジックが入団してきてチームが変わります。
話はそれますが、私は73年にアブドゥル・ジャバーとチェンバレンの対決を実際に見たことがあります。ジャバーがバックス、チェンバレンがレイカーズに居た時です。この新旧センター対決は、スピード、パワー、テクニック、気迫の全てをジャバーが上回り、チェンバレンの頭越しにスカイフックを何本も決めていました。チェンバレンはそれをただ見ているだけでした。ジャバーが学校時代に憧れていたセンターに圧勝した瞬間です。
当時私は、チェンバレンとはこの程度のものなのか、とがっかりしましたが、考えてみればチェンバレンは36歳、現役最後のシーズンです。敵うわけがありません。
チェンバレンにとって、73年は自分を慕っているスーパー・センターに引導を渡されたシーズンとなったわけです。
そのチェンバレンも長く現役を続けましたが、ジャバーはもっと長くプレーしました。42歳までの20シーズンです。
これは凄いことです。長く現役を続けたことで「鉄人」と呼ばれてスターになったわけではなく、スーパースターで20シーズン過ごしたのですから。
彼の生涯の得点平均は24.6点、リバウンドが11.2個です。今シーズントップだったレブロンの平均得点は30.7点、リバウンドはハワ−ドが15.1個です。彼らが全盛期、1シーズンだけの記録に対し、ジャバーは20年間の平均記録ですからね。
NBAで優勝6回とか、MVP6回とか生涯総得点が20,000点越したとか、数字や記録関係はウィキペディア(Wikipedia)から「カリーム・アブドゥル=ジャバー」で検索すればでてきますから、それを読んで下さい(笑)
豆トリビア-1 ダンク禁止
大学UCLA時代、一部の興味がそがれるとか、不公平だとかいう所謂ヤッカミからダンク禁止令が出ました。
これはセンター達にショックを与えました。パワーで相手を蹴散らしてダンクする得点が出来なくなり、ゴール下でも難しいシュートをしなければならなくなったからで、ブロックされ易くなったからです。
一方ジャバーはと言ふと、スカイフックと言ふブロック不可能なシュートを開発して「そんなの関係ねぇ」状態でした。
豆トリビア-2ゴーグル
アブドル・ジャバーを止めるために、中には目の所に手を持ってきて、目くらましや酷いときは指を突っ込んだりするような汚い手を使う選手もいます。良く解釈すれば、身長が高いので、ディフェンスが手をかざすと背の高いジャバーの目の位置にあたり、誤って指が目に入ってしまうこともあったのでしょう(大学3年生には失明寸前までいったとかいかなかったとか?)。
それで、彼はゴーグルを着用するようになります。初期のものは、スキー用のものでした。しかし、それだと周囲が見え辛いので、全てが透明のプラスティックでできたゴーグルを着用するようになりました。
なお、一番の苦労はゴーグルが熱気で曇ることだったのですが、これを解消する技術がスキーのゴーグルに生かされています。
豆トリビア-3 シューズ
ジャバーは、大学時代からオックスフォードと呼ばれるローカットのバッシュを履いていました。当時の常識(今もそうですが)センター、パワーフォワードはハイカットを履く人が多いですよね。相当骨が強いのでしょうね。
