2007年11月22日

ABAの誕生と消滅

さて、アルシンダーの正体を明かす前に、当時の状況を話しましょう。
今まで書いてきたラッセルvs.チェンバレンのライバル対決がNBA人気を盛り上げ、それによりエクスパンションチーム(新チーム)のブームが起こります。
61年に現ワシントン・ウィザーズのシカゴ・ゼフィアーズを初めとして、66年シカゴ・ブルズ、67年シアトル・スーパーソニックス、サンディエゴ・ロケッツ(現ヒューストン・ロケッツ)。
68年ミルウォーキー・バックス、フェニックス・サンズ。
そして70年バッファロー・ブレーブス(現LAクリッパーズ)、クリーブランド・キャバリアーズ、ポートランド・トレイルブレイザーズへと繋がります。10年間で9チームが新設されました。
NBAブームの到来です。

となると、プロ・リーグは二つあっても良いのじゃないかと考える人たちが出てきます。ましてNBAのフランチャイズが無い都市はプロ・チーム導入を考えます。Jリーグの発足当時と似ていると思ってよいでしょう。
そうして67年に出来たのが、NBA第一期黄金時代の立役者ジョージ・マイカンをコミッショナーとするABA(American Basketball Association)。赤・青・白の3色ボールと3ポイントシュートが看板のスピーディーなゲームを売り物にするリーグです。

まず、ヒューストン・マーベリックス、ピッツバーグ・パイパーズ、ミネソタ・マスキーズ、インディアナ・ペイサーズ、ニュージャージー・アメリカンズ、ニューオリンズ・バッカニアーズ、ダラス・シャパラルズ、エナハイム・アミーゴス、オークランド・オークスの9チームでスタートして、そしてすぐにデンバー・ロケッツとケンタッキー・カーネルスが参加しました。

初代ABAチャンピオンは西部代表バッカニアーズを下したコニー・ホーキンス率いるパイパーズです。
ホーキンスはアイオワ大1年生時にリクルートのスキャンダルが発覚して退学させられ、地方のマイナー・プロチームで小使い銭程度の金額でプレーしたところを地元のパイパーズに拾われたカッコウでABA入りしました。
彼に代表されるように、当初ABAには大した選手が在籍していませんでした。
ホーキンス、ダグ・モウ等有名スターが活躍することで風向きが少し変わってきました。そしてスキャンダルも起きてしまったのです。当時のNBAスター、それも白人のリック・バリーがABAへ移籍したいと言ひ出したのです。
と言ふのも、彼の義理の父あり、大学時代のコーチだったブルース・ホールがオークスのコーチに就任したからです。裁判沙汰になって、元々のチーム、ゴールデンステート・ウォリアーズでプレーするか、ABA移籍で1シーズン出場停止の2択となりました。結局、彼はABA最初のシーズンを棒に振ることに決めABAへ移りました。
その選択は正しかったようで、リーグ2シーズン目にあたる68-69はラリー・ブラウン(あの名コーチと言はれた)とモウとでチャンピオンに輝きました。

しかし、その後ホーキンスはNBAへ行ってしまいました。アルシンダーの例を出すまでも無く、多くの大学有名選手はNBAへ行き、ABAへはわずかしか入ってこないのですが、少しながらスター選手が出現しました。メル・ダニエル、鳥人と言はれたデビッド・トンプソン、モーゼス・ローン、ジョージ・ガービンのように合併後もNBAで活躍した選手も数多く居ました。

その中で群を向いているのがDr.Jことジュリアス・アービングです。マイケル・ジョーダンらNBAで活躍しているスーパースターが子供の頃、憧れのダンク・スターが彼でした。紳士的で優しくてダンクがうまいばかりじゃなくクラッチ・シューターでもあります。
私も一度話したことがありますが、ユーモアがあって優しい人でした。

そのDr.Jを有名にしたのがスラムダンク・コンテストです。
NBAに先駆けてABAはアメリカで最初の大規模なスラムダンク・コンテストを76年デンバーで開催されたオールスター・ゲームで行ひました。出場選手はガービン(201cm)、ラリー・ケノン(206cm)、トンプソン(193cm)、アーティス・ギルモア(218cm)そして201cmのDr.Jの5人でしたが、注目の一人は地元選手で、なおかつスーパージャンプで有名なトンプソンです。
バックボードの上にコインを置いて来たという逸話を持つ彼が、ダブル・ポンプやボースハンド・リバースそして360(一回転)を決めて喝采を浴びた後、いよいよ真打Dr.Jの登場です。コンテストの規則として、2分間で最低5回の試技を行います。

先ずは小手調べにと、リングの真下に立ってボールを両方の手に掴み、軽く跳んで2個のボールを同時にリングに叩き込んだあと、ボール1個を持ち逆サイドのフリースローサークルへゆっくりと歩いて行きます。
助走を長くとって踏み切った場所は、フリースローラインより1足だけ内側に入ったスポット。ボールを掴んだ右手をぐっと上に掲げる得意のポーズで空中散歩、そして振り下ろされたボールはネットを通過、その瞬間場内は大爆発。これが伝説となったDr.Jのダンクです。

Dr.Jが初代チャンピオンとなったスラムダンク・コンテストの数ヵ月後、彼がいるNYネッツはトンプソン率いるデンバー・ナゲッツを下し2度目で最後のABAチャンピオンに輝きました。

しかしABAはTV中継が少なく露出が少ないことも手伝って、観客も少なく経営は楽では無かったようで、チームは経営者が変わったり移転が多くなったりしており、そしてこのシーズンも途中で2チームが解散となります。東西に分けることが出来なくなって、最後は7チームとなってしまい、ABAの存続は不可能となって、ついにNBAに吸収合併されることになりました。
ここでABAは歴史の幕を閉じたわけです。

その後、7チーム中4チームは引き続きNBAでチームを存続することが出来ました。
サンアントニオ・スパーズ、インディアナ・ペイサーズ、デンバー・ナゲッツ、NYネッツ(現ニュージャージー)、これらのチームは今もNBAで活躍しているチームばかりです。特にスパーズはご存知とおりディフェンディング・チャンピオンです。

*ABA出身でNBAでも活躍した選手
リック・バリーはABAとNBA両方でチャンピオンになりました。殿堂入りとNBAベスト50人に選ばれています。
彼以外には、ダン・イウゼル、ジョージ・マックギニス、スペンサー・ヘイウッド、ロウ・ダンピア、メル・ダニエルス、ロジャー・ブラウンなど。


historivia at 09:14│Comments(0)TrackBack(0) 

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プロフィール
あんどうたかお
日本初のバスケットボール専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、 バスケットボール用品専門メーカー「サカイ」のデザイナーとして活躍。ユニフォームデザイナーとして 高校からスーパーリーグまで、ほとんどのデザインを手掛けた。 NBAの伝道者として知られ、NBAの黎明期から執筆活動を行い、NHK BSでも放映初期から解説者として 活躍するなどその造詣は深い。現在はデザイナー業、執筆活動のかたわらNBAでプレーすることを 夢見る若者を支援するNPO「リーチ ユア ドリーム オブ フープ」を主宰している。
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