2007年11月9日

ジョーダンの前に"GOD"と呼ばれた男

69年、ビル・ラッセルと入れ違いにNBA入りしたモンスターはルー・アルシンダーと言ふNY出身218cmの巨人です。NYのパワーメモリアル高時代から全米に知られていて、大学進学先を決めた時には記者会見を開いたほどの大物で、多くの人は彼が今後NBAだけではなく、バスケットそのものを変えてゆくだろうと思っていました。

彼は東海岸のNYから反対側の西海岸LAの大学を選び、ジョン・ウードゥンと言ふコーチの神様が教えるUCLA(University of California at LosAngels)へ進学することを決めました。UCLAは平均低身長が低いながらも2-1-2のゾーンプレスを武器に連続して全米大学チャンピオンに輝いたばかりのチームです。以前当時の大学は1年生と上級生とは別のチームとして扱われたと書きましたが、主力2人が抜けたとは言へ、優勝した上級生チームにアルシンダーを中心とするルーキー・チームが勝ってしまったのです。

そんなチームですから2年生になり正規軍に加入してからUCLAの快進撃が始まります。3年間で88勝2敗です。
最初の敗戦は3年生時に目を怪我して、視力が殆ど無く練習もしてない状態だったためで、本来なら休むべきところでした。ところが全米TV中継で、相手はアルシンダーのライバルと言はれたエルビン・ヘイズと言ふ選手が居る当時#2ランキングのヒューストン大、そして尚且つ場所がアストロ・ドームと言ふ屋根付き球場で4万人以上を集めて行はれたため、出場せざるを得ませんでした。
ちなみにそのリベンジはそのシーズンのNCAAセミファイナルで果たしています。

アルシンダーは、3年間の在籍で全米大学選手権を3年連続優勝、最優秀選手賞を3年連続獲得する偉業を達成しました。
218cmと言ふ長身だけでなく、秀でた運動能力に加え、相手にプレスされるとドリブルでボールを運ぶという卓越したボールハンドリングとバスケット・センスを持ったスーパー・スターをプロが放っておく訳がありません。
出来て間もないABA(American Basketball Association)はリーグ全体でアルシンダー獲得に動きます。新興リーグということで正面から行っては跳ね返されると思い、とんでもないプランを立てました。獲得資金は全チームから集め、好きなチームを選んで良いからABAと言ふリーグに入ってくれと言ふものです。
そればかりか最後の手段とばかり禁じ手を使ったのです。

白紙の小切手です。

対して老舗NBAは正統派です。通常通りのドラフトに掛けることになりました。
通常のドラフトとは、前シーズンの成績によってドラフト指名順位を与えるというものです。
悪い成績のチームから指名出来るようになっていました(bjリーグのドラフトと同じですね)。弱いチームが優秀な選手を獲得できるので、戦力の均等化が図れると言ふわけです。それが長期的展望に立ったNBAの方針なのです。

NBAには東西の2地区(カンファレンス)に分かれていて、それぞれ順位が付くため、最下位は2チーム出来ます。
そこでコインフリップにより本当(?)の最下位を決めるわけですが、69年東地区はミルウォーキー・バックス、西地区はフェニックス・サンズでした。
バックスもサンズもこの年にエクスパンションと呼ばれる出来たばかりのチームでした。両チーム共にアルシンダー狙いだったはずです。類稀な能力だけではなく、長身ということで、安定した高い得点力を望めることから、加入すれば一気に優勝を狙えるチームになるからです。

コインフリップの結果、運命の女神はお酒好きとみえ、美味いビールの名産地ミルウォーキーに微笑みました。
既存チームの選手を指名して獲得できるエクスパンション・ドラフト制度と通常のドラフトによってチームはメンバーを集めるわけですが、エクスパンション・ドラフトでは既存チームが10人ほどバリアを張れるため、どうしてもロートルや使い物にならない選手の寄せ集めとなってしまいます。そのため良い成績を上げられるわけは無いのですが、ご他聞に漏れずバックスは最初のシーズンに当る68-69は27勝しか上げられませんでした。
ところがアルシンダーが加入したことによって、翌シーズンは56勝26敗で勝ち数と負け数が逆転して東地区の2位と言ふ大躍進を果たしました。しかも、それは翌シーズンへの第一ステップでしかなかったのです。

チームにはジョン・マックグロックリンというフォワードを中心にベテランが多く居ましたが、チャンピオンを狙う戦力ではありません。そこでバックスは大物を獲得に動きました。
当時シンシナティー・ロイヤルズでコーチのボブ・クージーと反りが合わなくストレスを抱えていたのがシーズンを通してトリプル・ダブル(得点を含む3部門で二桁の数字を記録すること)を達成した「ビッグオー」ことオスカー・ロバートソン(前号参照)です。
スムーズな動きと広い視野を持ち、シュートもパスもリバウンドも得意な195cmの大型PGは、61-62シーズンに1ゲーム平均30.8得点、12.4リバウンド、11.3アシストと言ふ記録を達成しました。通常トリプル・ダブルとは1ゲームでのことを指し、シーズンでも10人出来るか出来ないかという難しい記録です。アシストはGが得意ですがリバウンドはF やCが得意な部門のため、バスケットのセンスがよくて身体的に恵まれる選手、オールラウンダーの証となります。それをシーズンで打ち立てたものですから、現在も含めて彼以外に達成した選手は存在しません。
そのロバートソンをトレードで獲得し、UCLA時代の同期ルシアス・アレンも獲得してアルシンダーの脇を固めました。

翌70-71シーズン、NBAはバッファロー・ブレーブス(現LAクリッパーズ)、クリーブランド・キャバリアーズ、ポートランド・トレイルブレイザーズの3チームを加え17チームに拡大されました。
これに伴なってカンファレンスの中を二つのディビジョンに分けました。そのため前シーズンは東地区だったバックスは西地区のミッドウエスト(中西部)ディビジョンへ移動となりました。

ビッグガードとビッグセンターと、二枚看板が出来たバックスを止めるチームは有りません。66勝16敗でリーグ通じてダントツの一番です。
プレーオフでもウォリアーズとレイカーズを4勝1敗で下し、NBAファイナルではディフェンディング・チャンピオンのニックスを破って登場したバルチモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)をスイープ(負けなしで一掃すること)すると言う脅威の強さを示して優勝です。チーム創設3シーズンでの優勝は、他のメジャースポーツを通じても最短ではないかと思います。

しかし皆さんの中に、アルシンダーと言ふ名前のスター選手を記憶している方は少ないでしょう。

彼は誰なんでしょうか?????

+++++++++++++++++++++++++++++++++++
豆トリビア -1
ヒートのコーチ、パット・ライリーはNY出身でケンタッキー大からNBA入りしました。現役引退後はレイカーズのコーチとしてマジック等を率いてトゥーピート(2連覇)を達成した有名人ですが、彼の自慢話に「俺は高校時代、アルシンダーと対戦したんだ」と言うのが有ったそうです。
ライリーが一つ年上で、アルシンダーは当時ライリーの元でプレーしてました(笑)

豆トリビア -2
アルシンダーのIQは134とか。頭の良い人ですね。


当時の人気専門誌、月刊バスケットボール・イラストレイテッド誌の表紙。 彼が誰だか判りますか?


historivia at 13:28│Comments(1)TrackBack(0) 

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この記事へのコメント

1. Posted by miya   2007/11/11 13:45:10
もちろん、私は知っています。私は彼と誕生日が同じ(4月16日)であることを自慢していますが、さすがに最近名前を知っているファンが少なくなって(苦笑)

代名詞は、スカイフックですよね?

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プロフィール
あんどうたかお
日本初のバスケットボール専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、 バスケットボール用品専門メーカー「サカイ」のデザイナーとして活躍。ユニフォームデザイナーとして 高校からスーパーリーグまで、ほとんどのデザインを手掛けた。 NBAの伝道者として知られ、NBAの黎明期から執筆活動を行い、NHK BSでも放映初期から解説者として 活躍するなどその造詣は深い。現在はデザイナー業、執筆活動のかたわらNBAでプレーすることを 夢見る若者を支援するNPO「リーチ ユア ドリーム オブ フープ」を主宰している。
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