2007年10月22日
ラッセルとチェンバレン(2)
それまで得点王、リバウンド王と攻撃に関する個人タイトルを独占状態だったチェンバレンでしたが、果たしてその記録はチームに貢献していたのだろうか、と言ふ疑問が湧いてきます。と言うのも66年までの7シーズン、一度も優勝したことが無く、いつもイースタンDiv.(ディビジョン)のファイナルでラッセルの居るセルティックスに敗れていたからです。
ちなみにラッセルの個人タイトルと言えば、13シーズンでリバウンド王を4回です。その内2回はチェンバレンがNBA入りする前ですからね(笑)。
サンフランシスコ・ウォリアーズからフィラデルフィア・セブンティーシクサーズへ移籍した66年、コーチのアレックス・ハナムはチェンバレンにこう持ちかけました。「個人タイトルは卒業して、優勝を狙おうじゃないか」、と。チェンバレン自身もその考えは有ったのでしょうが、今のコービー・ブライアントと同じで、自分が得点しなければ勝てないと思い込んでいた筈です。
ところがコービーのおかれていた状況とは違い、その時のシクサーズには優秀なシューターが揃っていました。ガードとしても評価の高かったハル・グリア(殿堂入り、50偉人)を始めウォーリー・ジョーンズ、ビリー・カニンガム(殿堂入り、50偉人)の3人は外からの攻撃を得意としていたので、シュートはこの3人に任せリバウンドに専念することを提案しました。その上攻撃ではポストのチェンバレンにボールを入れ、ディフェンスを引き付けて、空いているこの3人の誰かにボールを配給するわけです。もしシュートを落としてもチェンバレンがリバウンドを取ってくれます。シューターとすると、ミスしてもリバウンドを確実に拾ってもらえるとなるとシュートの確率は上がるものなのです。ちなみに65−66シーズンは44.6%だったものが、翌66−67シーズンは48.3%と大きく上昇しています。
実はこの戦法はセルティックスが行ってきた戦法で、チーム・プレーを重視したセルティックスのポリシーそのものでした。パクリです(笑)。
これを個人能力の高いシクサーズに実行されては、とてもじゃないでけどシクサーズに敵う訳がありません。こうしてチェンバレンはNBA入りして8シーズン目でやっとチャンピオン・リングを手に入れたのです、それも永遠のライバルと言はれたラッセル相手に。
同時にこの優勝はセルティックスの9連覇を止め、セルティックスの名匠レッド・アワバックを引退に導きました。それに伴いラッセルがコーチをすることになりました。ズーっと固辞していたようですが、アワバックに説得され引き受けたと言うことです。
セルティックスの強さ、それはチーム・ワークと勝負強さです。プロ・チーム、特にアメリカでは選手同士が仲良く一緒に行動すると言うことは皆無と言ってよいでしょうが、セルティックスに関してはそれはあてはまりません。誰かがオートバイを買ったといえば、みんなが購入してツーリングに出かけたりしました。
70年代前半には選手がお揃いのスーツを作ったりもしたんです。また引退してからもボストンに居を構える選手が多く、会場によく足を運んでいて、スーパースターを見かけることが多いですね。
それに加え勝負強い選手が多かったことも8連覇してボストン王朝を築いた源なのでしょう。連覇すると優勝の仕方(どうすれば優勝できるか)と言ふことを身体で判ってきます。
――レギュラー・シーズンとはプレーオフのためのウォーミングアップの期間。シーズンのチャンピオンを取ることはなく、プレーオフ出場の権利さえ失わなければ十分。――その上、プレー・オフでの利益は還元されるので、選手はエクストラ・マネーが貰えて美味しいゲームなのです。そのためにはプレーオフは長い期間ゲームしなくてはいけません。つまりファイナルまで、それもスイープではなく縺れるシリーズの方が良いわけです。逆転勝や少得点差での逃げ切りが多いのも特徴ですね。
有名なのは「ハブリチェック ストール ザ ボール」と言ふボストン・ガーデンの実況アナウンサー ジョニー・モストの絶叫です
65年イースタン・カンフェレンスのファイナルの相手はチェンバレンの居るシクサ−ズです。ガップリ四つのままでついに最終ゲームを迎えました。
ずーっとリードをしていたセルティックスは残り1分ほどで7点もリードしていましたがチェンバレンに立て続けに3ポイント・プレーを決められ、残り5秒で1点差まで追い上げられ、なおもラッセルのミスで相手ボールになってしまいました。それも相手ゴールのベースラインからのスローインです。ラッセルはファールトラブル、ベンチでは頭を抱え込む選手まで。
セルティックス 大ピーーンチ。王朝ももはやこれまでか???
それを救ったのがシックス・マンと言はれたジョン・ハブリチェックでした。スローインされたボールを空中でスティールしてそのまま持っていて逃げ切ったのです。その時にモストが前述の台詞を3回も絶叫しました。
そう言えば87年のカンフェレンス・ファイナル、ゲーム5でも残10秒、1点ビハインドで尚且つ相手スローインの場面で、名ガード アイザイア・トーマスのスローインしたボールをスティールして、デニス・ジョンソンの逆転シュートに繋げました。この手の話はセルティックスには沢山あるんです。
以下次号へ。
**********************************
豆トリビア―1
ザ・ベスト・シックスス・マン賞はハブリチェックを称えたためと言われています。
豆トリビア―2
ラッセルは56年3月に大学のタイトル NCAA(全米学生選手権)を手始めに、オリンピック、NBAと3個のビッグ・タイトルを13カ月間で獲得した唯一の人間です。
ちなみにラッセルの個人タイトルと言えば、13シーズンでリバウンド王を4回です。その内2回はチェンバレンがNBA入りする前ですからね(笑)。
サンフランシスコ・ウォリアーズからフィラデルフィア・セブンティーシクサーズへ移籍した66年、コーチのアレックス・ハナムはチェンバレンにこう持ちかけました。「個人タイトルは卒業して、優勝を狙おうじゃないか」、と。チェンバレン自身もその考えは有ったのでしょうが、今のコービー・ブライアントと同じで、自分が得点しなければ勝てないと思い込んでいた筈です。
ところがコービーのおかれていた状況とは違い、その時のシクサーズには優秀なシューターが揃っていました。ガードとしても評価の高かったハル・グリア(殿堂入り、50偉人)を始めウォーリー・ジョーンズ、ビリー・カニンガム(殿堂入り、50偉人)の3人は外からの攻撃を得意としていたので、シュートはこの3人に任せリバウンドに専念することを提案しました。その上攻撃ではポストのチェンバレンにボールを入れ、ディフェンスを引き付けて、空いているこの3人の誰かにボールを配給するわけです。もしシュートを落としてもチェンバレンがリバウンドを取ってくれます。シューターとすると、ミスしてもリバウンドを確実に拾ってもらえるとなるとシュートの確率は上がるものなのです。ちなみに65−66シーズンは44.6%だったものが、翌66−67シーズンは48.3%と大きく上昇しています。
実はこの戦法はセルティックスが行ってきた戦法で、チーム・プレーを重視したセルティックスのポリシーそのものでした。パクリです(笑)。
これを個人能力の高いシクサーズに実行されては、とてもじゃないでけどシクサーズに敵う訳がありません。こうしてチェンバレンはNBA入りして8シーズン目でやっとチャンピオン・リングを手に入れたのです、それも永遠のライバルと言はれたラッセル相手に。
同時にこの優勝はセルティックスの9連覇を止め、セルティックスの名匠レッド・アワバックを引退に導きました。それに伴いラッセルがコーチをすることになりました。ズーっと固辞していたようですが、アワバックに説得され引き受けたと言うことです。
セルティックスの強さ、それはチーム・ワークと勝負強さです。プロ・チーム、特にアメリカでは選手同士が仲良く一緒に行動すると言うことは皆無と言ってよいでしょうが、セルティックスに関してはそれはあてはまりません。誰かがオートバイを買ったといえば、みんなが購入してツーリングに出かけたりしました。
70年代前半には選手がお揃いのスーツを作ったりもしたんです。また引退してからもボストンに居を構える選手が多く、会場によく足を運んでいて、スーパースターを見かけることが多いですね。
それに加え勝負強い選手が多かったことも8連覇してボストン王朝を築いた源なのでしょう。連覇すると優勝の仕方(どうすれば優勝できるか)と言ふことを身体で判ってきます。
――レギュラー・シーズンとはプレーオフのためのウォーミングアップの期間。シーズンのチャンピオンを取ることはなく、プレーオフ出場の権利さえ失わなければ十分。――その上、プレー・オフでの利益は還元されるので、選手はエクストラ・マネーが貰えて美味しいゲームなのです。そのためにはプレーオフは長い期間ゲームしなくてはいけません。つまりファイナルまで、それもスイープではなく縺れるシリーズの方が良いわけです。逆転勝や少得点差での逃げ切りが多いのも特徴ですね。
有名なのは「ハブリチェック ストール ザ ボール」と言ふボストン・ガーデンの実況アナウンサー ジョニー・モストの絶叫です
65年イースタン・カンフェレンスのファイナルの相手はチェンバレンの居るシクサ−ズです。ガップリ四つのままでついに最終ゲームを迎えました。
ずーっとリードをしていたセルティックスは残り1分ほどで7点もリードしていましたがチェンバレンに立て続けに3ポイント・プレーを決められ、残り5秒で1点差まで追い上げられ、なおもラッセルのミスで相手ボールになってしまいました。それも相手ゴールのベースラインからのスローインです。ラッセルはファールトラブル、ベンチでは頭を抱え込む選手まで。
セルティックス 大ピーーンチ。王朝ももはやこれまでか???
それを救ったのがシックス・マンと言はれたジョン・ハブリチェックでした。スローインされたボールを空中でスティールしてそのまま持っていて逃げ切ったのです。その時にモストが前述の台詞を3回も絶叫しました。
そう言えば87年のカンフェレンス・ファイナル、ゲーム5でも残10秒、1点ビハインドで尚且つ相手スローインの場面で、名ガード アイザイア・トーマスのスローインしたボールをスティールして、デニス・ジョンソンの逆転シュートに繋げました。この手の話はセルティックスには沢山あるんです。
以下次号へ。
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豆トリビア―1
ザ・ベスト・シックスス・マン賞はハブリチェックを称えたためと言われています。
豆トリビア―2
ラッセルは56年3月に大学のタイトル NCAA(全米学生選手権)を手始めに、オリンピック、NBAと3個のビッグ・タイトルを13カ月間で獲得した唯一の人間です。
