2007年10月22日

ラッセルとチェンバレン(1)

56年にラッセルがNBA入りした2年後、ラッセルとは対照的な男がNBA入りしてきました。ラッセルよりも身長で8cm高く、体重で25kg重いアフロアメリカン(黒人)でした。そしてこの二人がマイカンが去った後のNBAを盛り上げる主役となりました。

それがNBAでただ一人、1ゲームで100得点した男、カンサス大出身ウィルト・チェンバレンです。

この二人は共通点が少なくまったく正反対だと言ふうことも、ライバル関係と煽る要因と成っています。

よく言われるのは、ディフェンスのラッセル対オフェンスのチェンバレン、チーム・プレー対個人プレー、優勝 11回対2回、出身校 弱小校対名門校、個人記録 24個対79個、等々ですね。

逆に共通点はと言うと、黒人である、リバウンドが強い、フリースローが下手(笑)

ラッセルの中学時代は身長が低く、バスケット部どころか他の運動部にも入れませんでした。*1

高校でやっとバスケット部に入れたものの、下級生の時はロースター最後の一人だったとか。意欲も出て練習するようになって身長が195cmと大きくなり、やっと上手くなったのです。州の選抜に選ばれたゲームでどうにか無名サンフランシスコ大(USF)から声が掛かりました。USFは専用体育館が無い程小さな大学で、大した奨学金も貰えなかったと言はれてます。

一方チェンバレンは小さい頃からバスケットでは有名で、地元のプレーグランドでは鳴らしたそうで、高校時代にすでに210cmもあり、全米100以上の大学から入学の誘いがありました。その中から彼は超名門のカンサス大を選びました。

当時は新入生は[フレッシュメン・チーム]とか[フロッシュ]と言われ、2〜4年生とは別のチームとなっていました。多分教育的配慮からと思はれます。1年生の時、上級生対フロッシュのエキジビション・ゲームが行はれましたが、42点ぶち込んだということです。もっとも2年生になった正規チームでのデビュー戦は52得点です。スケールがでかいですね。

とは言えカンサス大はチェンバレンにとってプレーしやすいチームではありませんでした。名門校故にシステムを重視した管理バスケットです。これに合わない上、ファイナルをトリプルオーバータイム(再々延長)で負けたりしたため、「ビッグ・ゲームに弱いチェンバレン」と言う評判が立ちったこともあって、中退してしまいました。

そして入団したのがショーバスケットとして有名な[ハーレムグローブ・トロッターズ]です。そこで1シーズン過ごして59年フィラデルフィア・ウォリアーズ*2に入団しました。ラッセルの入団の経緯は前回書きましたが、アワバックの謀略について私のブログで書いたのに、中々書くタイミングが無くて(^_^;) でも、もしかするとこれがアップされた頃には書いてあるかも知れませんよ(笑)

ラッセルはディフェンスと共にリバウンドが得意ですが、チェンバレンもそれは得意です。何故なら忌まわしいカンサス大当時は「得点はしなくて良いからリバウンドだけ取れ!」と言はれており、それが身体に染み付いていたからでしょう。

とは言えチェンバレンの得意技はシュートです。上半身が強く良い身体をしてます。手っ取り早く言へばシャックをもう少し痩せさせた感じですね。ダンクショットが得意で[ビッグ・ディッパー]と呼ばれたことも有りますが、高さとパワーだけでは有りません。[フィンガーロール]と呼ばれたボールを鷲掴みした状態から転げ落とすようなシュートは彼が得意としたダンク以外のシュートです。

今では当たり前のようにNBAで行はれる[フェードアウェーシュート]は彼がラッセルのディフェンスから逃げるために考え出されたシュートだと言われてます。

チェンバレンに関して、ナニを指し置いても書かなくてはいけないことは1ゲーム100得点のことでしょう。

62年3月2日ニックス戦のことです。1Q−23点、2Q−18点、3Q−28点と取って69点となった辺りから観客も意識し出したようで、それにつれ相手のニックスもエゲツなく他人へファール作戦に出たりしましたが、ついにその時が訪れました。4Q残46秒、ジョー・ルークリックからパスを貰って決めたシュートが、NBA初となる1ゲーム個人100得点となりました。

シーズンの平均得点が30点台は当たり前で、61-62年シーズンでは50.4点と言う信じられない記録まで作ったチェンバレンですが、66-67年シーズンは24.1点と前シーズンより10点近くダウンしました。

いったい彼に何が起こったのでしょうか??????

それは次回のお楽しみ。

前回の宿題 ラッセルの優勝回数は11回です。両手に全部嵌めても、まだ一つ残っています。

*1 アメリカの学校は誰でも学校の公式クラブに入部出来るわけではありません。ロースターが15人程度で、トライアウト(入部テスト)で選ばれて部員となれます。
*2 今のゴールデンステート・ウォリアーズのことです。シクサーズとは違います。セルティックス、ニックスとともにNBA創設期からのチームの一つです。62年にサンフランシスコへ移転となり、71年にサンフランシスコ湾を挟んだ向い岸のオークランドへ移転して「ゴールデンステート」となりました。

私は勘違いしてましたが、サンフランシスコの方が西側の狭い半島に位置してるんです。大陸側になるのはオークランドなんです。知ってました?

*********豆トリビア************
カンサス大が超名門な訳
バスケット創造者のネイスミス氏が勤務したのがこの大学で、バスケットのコーチとなりました。だからバスケットでは超名門校と言うわけです。

66-67シーズンのセルティックスのメディアガイド。
当時手紙を出して球団から直接送ってもらいました。




historivia at 10:03│Comments(0)TrackBack(0) 

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プロフィール
あんどうたかお
日本初のバスケットボール専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、 バスケットボール用品専門メーカー「サカイ」のデザイナーとして活躍。ユニフォームデザイナーとして 高校からスーパーリーグまで、ほとんどのデザインを手掛けた。 NBAの伝道者として知られ、NBAの黎明期から執筆活動を行い、NHK BSでも放映初期から解説者として 活躍するなどその造詣は深い。現在はデザイナー業、執筆活動のかたわらNBAでプレーすることを 夢見る若者を支援するNPO「リーチ ユア ドリーム オブ フープ」を主宰している。
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