一時代を築いたジョージ・マイカンが終焉を迎える頃のスターといえば、ドリブルやトリッキーなパスさばきで「ボールの魔術師」と言われたボストン・セルティックスのボブ・クージー(185cm)。パワーフォワードといふポジションを作ったと言はれるセントルイス・ホークスのボブ・ぺティット(206cm)です。
そしてマイカンと入れ替わりにNBAに登場したのが、NBAを変え、なおかつ発展させたガリガリのひょろ高いビル・ラッセルでした。
ラッセルは弱小サンフランシスコ大(USF)を同級生KCジョーンズ(185cm)と共に全米大学選手権(NCAA)2連覇に大きく貢献したセンターです。平均得点は20.7点ですが、それが評価されたわけではありません。彼より得点するセンターは数え切れないほど居ました。しかし彼にはリバウンドと言ふ武器がありました。平均20.3リバウンドと言ふ驚異の数字を叩き出したのは彼ぐらいのものでしょう。
しかもリバウンドだけが彼の得意技ではないのです。彼には"ブロックショット"もありました。とは言へそのスキルを評価したコーチはNBAには多くありませんでした。と言ふのもそれまでのNBAはオフェンス中心の考え方をしていたため、ディフェンスが良くても評価は低かったからです。
(注 ディフェンスとは、日本人の概念では相手にボールを持たせないとか、ドリブルを防いだり、シュートさせないと言ふ平面の動きに強い選手を指しますが、得点させないのが最高のディフェンスであり、ボールがリングを通過させないことが目的なので、ショットブロッカーは最高のディフェンダーと言うのがアメリカ的考え方です。)
それはセルティックスのレッド・アワバック・コーチも同じでしたが、彼は行き詰まってました。常連とは言へプレーオフではなかなか勝ち進むことが出来ず、オフェンス主体のバスケットから方向転換を迫られていたわけです。それにはどうしてもラッセルが必要だったと言ふことです。
一方ラッセルは大学2連覇を果たしても、ドラフトでは3番手程度にしか評価されていませんでしたが、セルティックスのドラフト指名権はズーっと後ろでした。そこでアワバックは一計を案じて見事ラッセル獲得に成功しました。アワバックの策略は長くなるので、私のブログに書いておきます。
ラッセルばかりかチームメイトのKCジョーンズ、トム・ハインソーン(201cm)も同時に獲得したセルティックスは、アウトサイドに選手に対し強いプレッシャーをかけるディフェンスを展開しました。。「抜かれることを心配しないでよい」と言はれたら、もの凄いディフェンスが出来ます。抜かれてもゴール下では大魔神ラッセルが待ち構え、シュートされたボールを空中で叩き落とします。だから抜かれて良いんです。一つのトラッププレーです。
当時はブロックショットの記録は取っていなかったため、正確な数字は出てませんが、平均で3個程度と言う人も居ます。数字としては少ないですよね、06-07シーズンではスパーズのティム・ダンカン(211cm)が平均で2.4個、一位のマーカス・キャンビー(211cmナゲッツ)も3.3です。
しかし、それでも数字に表れない心理的なプレッシャーがシューターには掛かってくるのです。目の前にラッセルが居ると、シュートしたボールをブロックされるのではないかと一瞬でも頭を過ぎれば、シューターの手元は狂います。前シーズン平均105.3失点でNBAワーストだったものが100.2と5.1ポイントも下がりました。
外れたボールを取って素早いパスをガードに出して、セルティックス得意の速攻に持ち込むわけです。速攻を出せなくとも、クージーをはじめ、シュートの名手と言はれたビル・シャーマン(185cm)や名フォワードと言はれたハインソーンらが攻撃します。
この効果は絶大で、セルティックスはこのシーズンに初優勝しました。出来すぎです(笑)
しかし翌シーズン、ラッセルが怪我をしたため、前年ファイナルで下したペティットのいるホークスに破れました。しかしそれ以降はズーっと優勝してるんです。
何回優勝したかって?
ラッセルが持っているチャンピオンリングは全て指にはめても、まだ余るんです。詳しくは次回へ。

****ラッセルに関する豆トリビア****
1. 日本ではラッセルを「ディフェンスの神様」と呼んでいます。アメリカでは「ミスター・ディフェンス」とか呼ばれたこともありますが、神様という呼び方はされてません。このネーミングは私が付けたものなんです、それも40年近く前に。
2. セルティックスと契約した場所は、メルボルン・オリンピックから帰って来た空港で行いました。