2008年6月12日
バスケットボールにおける黒人選手の活躍
さて、バスケットボールはあらゆるスポーツの中でも、最も黒人に向いている競技だと思います。NBAのゲームを見れば俊敏で身体能力に優れ、身長もある黒人パワーの凄さは一目瞭然です。
平均的にはコート上の8人が黒人で、時には全員が黒人だったりします(黒色人種のことをブラックやアフロ、耳慣れないところではエボニー、カラードという言い方もありますが、ここではあえて日本で一般的になじみのある「黒人」という言葉を使います)。
バスケットには、野球やアメリカンフットボールのような広い競技場はいりません。プールほどの大きさの広場があれば十分です。その上用具でお金が掛かることもありません。狭い広場とリング、ボールさえあればゲームができる。ということは、貧しい人が多かった黒人にとって、特に都会でやるスポーツとして最適ということがいえます。
黒人たちにバスケットを広めたのがエドウィン・ヘンダーソンという人です。黒人がバスケットボールで活躍することが人種的偏見をなくすことにつながると考えた彼は、まずワシントンD.C.の黒人たちの間にこれを広めました。
次にニューヨークでも紹介したところあっという間に人気が出て、そこからBLACK GAMEとして広まったといわれています。ニューヨークのハーレムから生まれたのが黒人だけの史上最強チームといわれるニューヨーク・ルネッサンズで、その伝統はのちにハーレム・グローブトロッターズにも繋がっていきました。
ルネッサンズ、通称レンズは白人最強と言われたオリジナル・セルティックス(現在のボストン・セルティックスとは関係ありません)と対決して勝利を収めています。「動きが全然違った」というのは、対戦した白人選手の話。
まだNBAが出来る前の1925年のことです。
1946年、NBAが創設されました。当時はBAA(Basketball Association of America)と言う組織で、その後合併でNBAが生まれたわけですが(詳しくは「NBA草創期 NBA誕生(2)」参照)その最初のゲームに黒人はいませんでした。黒人選手の登場は1950年、ドラフトでボストン・セルティックスが2巡目でデュケスン大のフォワード、195cmのチャック・クーパーを指名したのが最初です。このときセルティックスのオーナー、ブラウン氏は他のオーナーから「クーパーは黒人だぞ!気は確かか?」と言われたのだとか。
この指名が他のチームの考えを改めたのか、7巡後にワシントン・キャピタルス(その後消滅)がアール・ロイドを指名し、ニックスはトロッターズのナット・クリフトンと契約して一気に3人の黒人がNBAのコートに立つことになりました。
なおスケジュールの関係で、アール・ロイドが「最初にNBAでプレーした黒人選手」ということになっていますが、セルティックスが指名しなかったらキャピタルズのロイド指名もなかったわけで、このことは一概にロイドやキャピタルズの功績ということはできないと思います。
ちなみに当時のセルティックスのHC、レッド・アワバックは「純粋に彼の運動能力の高さが欲しかった」と語っています(のちにアワバックは引退する自分の後継者として、長年育ててきたやはり黒人選手のラッセルを指名しました)。
面白いのはカラー・バリヤーを最初に破ったのがボストン・セルティックスだったこと。
知っている方ならわかると思いますが、ボストンはいわば保守的な都市です。いまだに人種差別も多く、あのビル・ラッセルでさえ最近まで無視されたことがあると言っていたほどです。
NBAの花形選手と言えばジョージ・マイカン、ボブ・ペティット、ボブ・クージー等の白人でしたが、それからは黒人選手が堰を切ったがごとくNBAに流れ込みます。50年代半ばからのラッセルvs.チェンバレンのライバル関係に始まったこのトレンドに、カリーム・アブドゥル・ジャバーやドクター・Jが続きますが、まだリック・バリー、ジェリー・ウエスト達白人選手も多くいました。
しかし80年代のスターを挙げると唯一ラリー・バードを除いてマジック、アイザイア・トーマス、ドミニク・ウィルキンス等々黒人ばかりです。
NBAでは黒人選手がトレードや契約解除も白人より先に行われるとか、年俸は同じレベルだったら黒人よりも白人の方が高い、などまだ差別があるようです。しかしバスケットが好きな若者の中には、NBA好きが高ずるあまり黒人をリスペクトし、HIPHOPやB-BOYなど彼らのライフスタイルを真似る人が、本当にたくさんいます。
黒人たちにバスケットを広めたヘンダーソンの「(黒人の)スポーツでの卓越はさまざまな困難を生き延び、奴隷制の苦難に耐え得た強者(進化論的意味での)の末裔だからであり、それゆえ強靱な筋肉繊維を遺伝的に受け継いでいる」という主張が正しいのかどうかわかりませんが、多くの黒人選手がコートでその能力をいかんなく発揮していることは確かです。
2008年5月22日
ジョーダンの引退とその後のNBA
ジョーダンが帰って来たシカゴ・ブルズは元から居たスコッティー・ピッペンに加え、デニス・ロッドマンやロン・ハーパーら新しいメンバーと共に96〜98年に二度目のスリーピート(三連覇)を達成します。
最後の年となった98年ユタ・ジャズとのNBAファイナルは特に印象深いものがあります。3勝2敗で迎えたソルトレークでのゲーム6。ここで勝てばスリーピート達成となるゲームはジャズのホームコート、一番声援が大きいと言はれるデルタ・センターで行はれました。
残り1分を切って86-83でジャズが3点リードしていますが、ジョーダンがレイアップ・シュートを決め96-95の1点差に詰めます。
次のジャズの攻撃で、ローポストに位置するカール・マローンへジョン・ストックトンがパスを入れます。するとブラインド・サイド(見えない方向)からジョーダンが来て、外に気を取られていたマローンのボールを斜め後ろから叩き落として奪います。それが残り20秒のこと。
ジョーダンはゆっくりとドリブルでボールを進め、左45度当たりで最後の攻撃の機会を窺います。他のメンバーはジョーダンの1on1を邪魔しないようにベースラインに寄ってアイソレーション(プレーの邪魔をしないようにする)します。
残り8秒になったとき、ジョーダンは行動開始。
ドリブルで攻め込み、フリースローラインあたりで急ストップしてジャンプシュート。自分のシュートが正しい方向へ向かって行くのを確信して、ジョーダンは右手を打った状態で、高くかざしたままです。自信があったのでしょう。
場内を埋めるジャズ・ファンは恐怖に顔がゆがみます。世界で一番勝負強い男のシュートだから「外れるわけが無い」と判っているからです。そのジャズ・ファンの悪い予感は現実のものとなります。
ボールはリングにカスリともさせず、綺麗に吸い込まれました。
2度のスリーピートを達成したブルズ、そして2度目の引退となったジョーダンにとってこれが「ラストショット」となりました。
ブルズに代わって台頭したのが地味の代表といわれるティム・ダンカンと提督デビッド・ロビンソンのツインタワーを要するサンアントニオ・スパーズです。
派手さはありませんが、ゴール下とディフェンスの強さで常勝軍団となります。腎臓移植手術から戻ってきたシーン・エリオットも活躍して話題になりました。
とは言え、スパーズに独走を許すほどNBAは甘くありません。待ったを掛けたのはウエストの名門ロサンゼルス・レイカーズです。
若いカリスマ、コービー・ブライアントと支配力はNBA随一といわれる巨漢シャックことシャキール・オニールとのガードとセンターのコンビで2000年から02年までスリーピートを達成しました。コーチはブルズでジョーダンを使いこなしたフィル・ジャクソンです。
しかしスリーピート後はシャックとコービーが仲たがいし、シャックが移籍したため、レイカーズの進撃はここでストップどころか奈落のそこへ落ちてしまいます。
スパーズのリベンジです。アルゼンチンのスターガード、マニュ・ジノビリの加入が大きく、スティーブン・ジャクソンと共に外からの攻撃に厚みを加え、2年目のトニー・パーカーもポイントガードとして定着しました。
インサイドには相変わらずツインタワーが陣取っていますが、ロビンソン最後のシーズンとなることも手伝ってか、大きな盛り上がりを見せます。
一方ジェーソン・キッドが加入して急激に強くなったネッツは二年連続のファイナル進出でしたが、シーズンは平均96得点の攻撃力を抑えられ、最高で89得点しか挙げることができませんでした。
最後はスパーズがディフェンスの強さを示して03年のチャンピオンに返り咲きました。
次に現れたのはレイカーズとは対照的なディフェンスの強さを誇るポンコツオヤジ軍団です。ビッグネームと呼ばれるスーパースターはおらず、他のチームでお払い箱になった選手を集めたと言われたデトロイトピストンズです。せいぜいラシード・ウォーレスくらいですかね、若くて名門出身で能力の高さを誇れるのは(笑)
しかし優勝請負人と言はれるラリー・ブラウンをヘッド・コーチの元で数年がかりで鍛え上げられ、強いディフェンスで04年に優勝を果たします。
翌年もピストンズがNBAファイナルに進出してきましたが、肝心のブラウン・コーチが居ません。優勝したことでピストンズでの自分の役目は終わったとばかり、辞めてしまいました。天才が考えることは判りません(笑)
05年はパーカーが活躍するようになり、ロビンソンが引退したスパーズのPGとして異彩を放ちます。ディフェンス力の弱くなったピストンズを破り、3回目の優勝を果たします。
西高東低と言はれる中で、イースタン・カンフェレンスでメキメキと力をつけてきたチームがマイアミ・ヒートです。ドリブルで中に割って入るのが上手い大型ガードのドウェイン・ウェードに巨漢シャックが加わったばかりではなく、優勝経験がないベテランやビッグネームも安いサラリーで加わり、06年を制覇します。
00-02年のレイカーズ以来連覇がない、いや出来ないのがNBAです。そんな中でフランス人PGトニー・パーカー、アルゼンチンGのジノビリ、バージン諸島出身ダンカンら国際色あふれるBIG3の活躍で、若手ナンバーワン、もうすぐNBAナンバーワンになろうといわれるレブロン・ジェームス率いるクリーブランド・キャバリアーズを破って07年優勝を果たしたのがスパーズです。
連覇こそしてないものの、03年から5年間で3回優勝したのがスパーズは、Dynasty(王朝・帝国)と呼ばれるほどになりました。グレッグ・ポポビッチの手腕によるところが大きいですね。
そして今シーズン、誰も予想しなかったニューオーリンズ・ホーネッツが大躍進です。レイカーズもシーズン途中のトレードでパウ・ガソルを獲得してから一気に優勝を狙うチームへと変身しました.
しかし今シーズン最も優勝に近いのはボストン・セルティックスでしょう。ビッグ・フォワードのケビン・ガーネットをトレードで、シューターのレイ・アレンをFAで獲得して、フランチャイズ・スターのポール・ピアースと共にBIG3を形成して、リーグ最高の66勝をあげました。
逆にトレードやFAで補強したものの、思ったほど効果が上がらなかったのは、シャックを補強したフェニックス・サンズ、ジェーソン・キッドをトレードで得たダラス・マーベリックスじゃないでしょうか.
さあ、もうすぐNBAファイナルです、どのチームがチャンピオン・リングをはめることが出来るのでしょうか?
この数年、若いスターが次々に誕生しています。ジョーダン引退から10年。NBA人気は元に戻ってきたといっていいでしょう。

2008年4月28日
NBA 空白の2年間
アキーム・オラジュワン。これで213cmですから。
翌95年、ロケッツは強力な補強を行いました。地元ヒューストン大出身でオラジュワンと同期で、ドリーム・チーム・メンバーのクライド・ドレクスラー(200cm)をトレードで獲得しました。そしてこの年シーズン終わり近く、ジョーダンが野球からカムバックしてきました。とは言へ1年半のブランクは長すぎて、流石のジョーダンも完璧な状態でプレーオフには臨めず、セミファイナルで若い”シャック”シャキール・オニール、ペニーことアンファニー・ハーダウェーを擁するオーランド・マジックに2勝4敗で破れてしまいます。イースタン代表はペーサーズを4勝3敗で下したマジックが初のファイナル進出を決めました。一方ウエスタン・カンフェレンスはディフェンディング・チャンピオンのロケッツが、提督デビッド・ロビンソンを擁するサンアントニオ・スパーズを4勝2敗で退けてNBAファイナルに進出しました。マジックvs.ロケッツは言い換えるとシャックvsオラジュワン、ハーダウェーvsドレクスラーとも言へます。若さと才能あふれるシャックとペニー・コンビ対NBA11年目のクライド・ドリームのベテランの対戦です。 若さあふれるマジックがスタートを制して前半は57-37と大きくリードしました。しかしその後ロケッツはケニー・スミスが驚異的に3Pを決めて追い上げます。そして4Qも残り10.7秒のところでマジックが110-107とリードしていました。その上フリースローを貰っているので、逃げ切りの可能性は大です。ところがここからマジックの悲劇が始まります。10.7秒の間に4回のFTを貰っていながら、若いニック・アンダーソンが全部落としてしまいました。あと1.6秒と迫った時、ロケッツのスミスに3Pを入れられ同点とされてしまいます。そして逆転の期待を込めたデニス・スコットのシュートはロケッツのオーリーがブロックされました。 オーバータイムに突入です。オーバータイムはシーソーゲームとなりましが、最後を決めたのはオラジュワンです。ロケッツに加入したばかりのドレクスラーがレイアップショットに行きましたが入りません。リングの上に跳ね上がったボールを、オラジュワンがシャックの手を制してコントロールして押し込みました。得点は120-118、時計は既に1秒を切りました。勝負の分かれ目となったのはアンダーソンのフリースローでした。怖いものです。たった10秒間の出来事で、局面がガラリと変わってしまったのです。そこからマジックの勢いはなくなって行き、若いチームは立ち直ることなく0勝4敗のスイープでロケッツのツーピートのお膳立てをすることになりました。 この頃は、まだシャックもスマートでした。オーリーのクラッチタイムの活躍が目に付きます。
ドレクスラーはやっとリングを指にはめることができました。そしてまた、ジョーダンが帰ってきたNBAの新しい歴史が始まるのです。

2008年4月22日
Three-Peat(三連覇)なるか?シカゴ・ブルズ
93年は個人的にも思い出の多いシーズンでした。私が初めてNBAファイナルを見に行った年なんです。
現在ファイナルの開始日はシーズン前から決まっていますが、当時は行き当たりばったり(笑)だったので、航空券やホテルの予約等が簡単ではなかったので、日本から行くのは難しかった時代でした。
サンズvs.ブルズのファイナルは、ブルズのスリーピート(3連覇)がかかったシリーズでした。日本では聞きなれませんが、アメリカスポーツ界で良く使われる言葉に「Dynasty(王朝)」と言ふ言葉があります。長期政権と言ふか、1チームが長く勝者であり続けることです。
プロ野球で言へば、ウン十年前の巨人軍です。それには3連覇が条件と言はれているので、ブルズはこの年が正念場でした。
サンズはPGにKJことケビン・ジョンソン、SGダン・マーリー、SFリチャード・デュマス、PFチャールズ・ダークレー、Cマーク・ウエストがスターティング・ラインナップで、Fトム・チェンバースとGダニー・エインジ(現セルティックス社長)がベンチの主な控えメンバー。
対してブルズはPGにBJアームストロング、SGマイケル・ジョーダン、SFスコティー・ピッペン、PFホーラス・グラント、Cビル・カートライトのスタメンとGジョン・パクソン、Cスコット・ウイリアムスが主なバックアップ陣です。
ジョーダンとサンズのバークレーはプライベートで仲が良く、ともに人気者ということもあって、興味深いカード。このファイナルは今後のNBAにも大きく影響を与えた「アジャスト」がキーワードになったシリーズでもありました。
シーズンはサンズ62勝20敗、ブルズ57勝25敗で、共に高い勝率でしたが、サンズのシーズン成績が上のため、ホームコート・アドバンテージはサンズが持っており、フェニックスから始まりました。
その敵地でサンズの主力バークレーとKJを抑えたブルズは2連勝を挙げ、意気揚々とシカゴへ凱旋しました。不利なアウェーで連勝して、今度は優位な地元シカゴと言ふことで、町中が「Sweep,Sweep(全勝で勝ち抜け)!」と大騒ぎです。超満員となったシカゴ・スタジアムにはSweepには掃くとか掃除する意味もあることから、ゲーム3では箒を持って来場するブルズ・ファンもあらわれました。
ところがそれほど甘くないのが勝負の世界です。
サンズのウエストポール・コーチはディフェンスのマッチアップを換えました。動きの早いジョーダンに小さいながらクイックネスのあるKJをつけると言ふアジャストを行い、その他のマッチアップも全て代える大胆な作戦に出ました。
その為かゲーム1・2で不調だった得点源のマーリーとKJに当たりが戻り、トリプル・オーバータイムの末121-129でブルズを下し、1勝目をあげました。
続くゲーム4。バークレーのローポストの1on1に対し、ブルズはダブル・チームを仕掛けると、バークレーはシュートせずに外へパスをさばき3Pシュートを打たせます。
それに対してブルズはローテーションして外のシュートを楽に打たせないようにとゲーム内でアジャストをします。そんな頭脳ゲームの中、唯一人ブルズはジョーダンがエンジン全開です。
最後はジョーダンがレイアップでバークレーからファールを奪いand1を決めて残13秒で5点差を付け逃げ切り、王手をかけました。ジョーダンは前ゲームの44得点を上回る55得点を挙げました。
ゲーム5のサンズの合言葉は「シカゴの街を救え!」です。可笑しいでしょう。サンズが勝てば騒ぎは起こらないので、シカゴの街を救える、と言ふ意味なんです。このままシカゴでブルズが優勝したら、盛り上がり方が半端じゃなかったため、大騒動になることは必至と言はれていました。その為にTVやラジオ新聞等で「騒動は起こさないように」と呼びかけもあったほどです。
街中の商店は商品を片付けたり、ショーウインドーにテープを張ったりという予防策をとっていて、我々日本人はそれを見て驚いたものです。
サンズはディフェンスに勝機を見出そうと、勝ったゲーム3と同様にジョーダンにKJをマッチアップさせ、時にはダブル・チームをして41得点に抑えました(笑)。ジョーダンには50得点されなければディフェンスの勝ちなんです。
シカゴでの3戦中2勝をあげ、シカゴの街を救ってフェニックスに帰ってきたサンズは地元の大声援を受けてゲーム6に臨みました。
しかしブルズが常にリードする展開で、第2Qでは11点差も付けられ、最終Qに入るときは8点もビハインドしていました。しかしこのまま地元で相手の優勝を見たくないサンズは必死のディフェンスで追い上げをはかり、残り2分55秒には逆転して96-92と4点のリードを奪いました。
しかしブルズの強さは最後の土壇場で発揮されます。
残り14秒、98-96でサンズのリード。これを守りきれば、サンズは有利なホームでの最終ゲームへ持ち込めます。
この場面なら、誰もがジョーダンのシュートと考えますが、KJにタイトにディフェンスされている彼は無理をしません。トップに上がってきたピッペンにボールを回します。
ピッペンは素早く反転してゴールへドライブすると、そこへ左下からグラントをマークしていたウエストがカバーに来ました。ピッペンはショートコーナーにノーマークになっているグラントを見つけパスを通します。
グラントはシュートを入れれば同点になるけれど、時計は止まり、ボールは相手のスローインになります。8秒残っていれば相手にシュートを決められる可能性は非常に高くなります。その上リングまでの距離は2mちょっと。ボードと平行のポジションではバンクショットも出来ません。ゴルフで言ふ「外し頃」の難しい距離なんです。
それなら3Pシュートで逆転を狙ったほうが良いと考えます。しかし3Pシュートは簡単に入るものではありません。精々40%強の確率です。
3Pエリアでノーマークだったパクソンを知っているグラントは、躊躇せずパクソンへパスしました。彼の3Pの確率はブルズ最高を誇る46%です。そして確率だけではなく、クラッチ・シューターとしてもチームメイトから信頼されています。
パクソンの右手から放たれたボールは綺麗なアーチを描いてリングに向かってゆきます。
「Nothing but net」‐‐ボールはリングにカスリもせず、ネットに吸い込まれました。
この時、時計は3.1秒を表示していました。
ブルズは劇的な逆転劇でスリーピートを果たし「シカゴ王朝」を築き上げました。
しかしその後、世界を揺るがす衝撃が待っていました。

2008年4月9日
転換期、1991-1992シーズン
初優勝を飾ったブルズですが、91-92シーズンは世界のバスケット界ではさまざまな出来事がありました。
まずは91年11月、シーズンが始まる直前の出来事です。日本でも大きく報道されたマジック・ジョンソンのHIV感染とそれによるNBAの引退発表。これからNBAのシーズンが始まるぞ、とワクワクしていた時だっただけに、バスケット愛好家のみならず全米がショックを受けた出来事です。マジックは引退して1ゲームもプレーしてないのにもかかわらず、ファン投票でジョーダンを抑えて最多の投票を獲得したため、オールスター限定でカムバックしました。
ゲーム自体は、ディフェンスを一生懸命にやらない、いわゆるオールスターゲームの典型的なもので、内容は凡庸なものでした。ジョーダンが少しマジにやっていた程度です。
盛り上がったのは最後の1分ほど。先ずプライベートでとても仲の良いアイザイア・トーマスがマジックに絡みました。華麗なドリブル・テクニックを魅せるするアイザイアとディフェンスするマジック。他の選手は気を利かせてアイソレーション(孤立)します。
次はジョーダン、真面目な性格が良く出たプレーです。ドリブルで舞台が整うのを待つジョーダン。大スター同士のマッチアップに場内はスタンディング・オベーション。しかしジョーダンは遊びも無くストレートに勝負しています。相手は引退するんだから、花を持たせてやれよ、って感じです(笑)。
最後もアイザイアでした。ドリブルするマジックにマッチアップします。残り16秒、トップのやや右から打ったマジックの3Pシュート。大きなアーチを描いてボールはリングへ。偶然にも、私が座っていた記者席とマジックそしてリングが一直線上です。ボールは真直ぐにリングに向かって行くのが見えました。「入る」と思ったとおり、ボールは綺麗にリングに吸い込まれて行きました。
「Nothing but net」と言ふバスケットの言葉があります。正にそのとおり。ボールはリングにかすらず、ネットだけを揺らして西軍に153点目を与えました。
その前まではクライド・ドレクスラーが最多得点だったので、MVPがほぼ決まっていたのを、この3Pシュートでマジックが強引に引き込んだイメージです。やはりスーパースターなんですね。
シーズンをリーグ最多勝で終えたのはシカゴ・ブルズで、2位はポートランド・トレイルブレイザーズでした。とは言えブルズですら簡単にはファイナルへは進ませてくれません。行く手を阻むのは、パトリック・ユーイング、ジョン・スタークス、マーク・ジャクソン等のNYニックスです。この頃のニックスは一時のピストンズのように荒っぽいディフェンスと向う気の強いメンバーが揃ってました。ニックスを4勝3敗でやっと下し、キャブスも4勝2敗で破り2年連続のファイナル進出です。
一方ブレイザーズは何てことなくレイカーズ、サンズ、ジャズを下しての進出となりました。
ファイナルゲーム1はとんでもないことが起こりました。元々ジョーダンは外からのシュート、特に3Pシュートに関しては達人ではありません。それが、前半だけで6本も決めちゃったんです。82ゲームあるシーズン中の合計がたったの27本。気持ち良かったんでしょうね。6本目が入った時は、流石のジョーダンも肩をすくめていました(笑)。
勝負師だけあって、得手不得手は別にして、自分がゾーンに入っていると感じたら、つまり長いシュートが好調と思ったら、打ち続けたほうが良いと考えて積極的に打ったと言っていました。
ゲーム2は敗れましたが、ポートランドへ移動してのゲーム3はブルズが取って2勝1敗にします。
結局ポートランドで2勝したことが大きく、ブルズは6戦で優勝を決めますが、この年もコーチのフィル・ジャクソンは大胆な手を打ってきました。13点も負けているゲーム6の4Qのメンバーに、ジョーダン抜きで4人の控え選手を投入しました。元気な若い4人が走り回ったお陰で、3分半ほどで3点差まで追い上げたのです。そこでジョーダンが登場、疲れたブレイザーズ相手に、ピッペンと二人で19得点して見事逆転勝ちしてNBA2連覇しました。
このシーズンはこれで終りではありません。NBAおよび世界のバスケット史上、特筆すべきことがありました。世界戦略を図るプロのNBAとアマチュア世界連盟のFIBAが手を結んで、アマチュアの祭典であるオリンピックにプロのNBA選手が出場できるようにしたのです。
「ドリームチーム」と呼ばれるアメリカ代表、いやNBA代表の誕生です。
HIV感染で引退したマジックが中心となってスター選手を集めました。腰が悪く引退寸前のラリー・バード、既に金メダルを1個持っており、出場には後ろ向きだったジョーダン達を説得したのがマジックです。
ヨーロッパではNBAのテレビ中継はそこそこ盛んで、多くのバスケット愛好家は見ており、特に各国の代表選手クラスは見ていたようで、テレビで見ていたNBA選手を相手に戦ったわけです。雲の上の存在のNBA選手相手に、各国の選手は、アメリカとのゲーム前に記念撮影が当たり前になるほどでした。中にはベンチからカメラを構えてジョーダンを撮影する選手も。またこれをテレビが全世界に放映したため、バスケットとNBAの面白さが全世界に広がり、NBAが世界中に知られることになった最大の要因、とする専門家は多いですね。
そんなようなことで、勝負は戦前から判っており、文句なしにアメリカが優勝しました。NBAにとって、また世界のバスケット界にとって有意義な長い1年でした。
2008年3月19日
NBA黄金期到来−ブルズの時代へ(2)
強敵ピストンズをイースタン・カンフェレンス・ファイナルで下したマイケル・ジョーダンのブルズにとって、初のファイナルは91年6月2日、場所はブルズのホームコート(現在のユナイテッド・センターの前に建っていた)シカゴ・スタジアムからスタートしました。
相手はファイナル常連のレイカーズです。
GAME 1
心配された立ち上がりは、#23ジョーダンが15得点3リバウンド、5アシストといきなりスパート。30-29とリードして1Qを終了しました。前半はそのままの流れで終わりますが、後半動いたのはレイカーズの#32マジック・ジョンソンでした。連続3Pを決めて3Qを24-15として逆転します。
ブルズは最終Qに追い上げて、逆転したものの、残14秒にジョーダンの大学時代の同期#14サム・パーキンスに3Pを決められ92-91と再逆転を喰らいます。
その後ジョーダンが5mのジャンパーを打ちますが、ザ・ショットにはならず93-91でレイカーズがアウェーで緒戦をモノにしました。
GAME 2
レイカーズの司令塔マジックに対してブルズはクイックネスとスピードがあり、バスケット・センスもディフェンスも良く尚且つマジックに近い身長の#33スコティー・ピッペンをマッチアップさせました。正に名匠フィル・ジャクソンならではの作戦です。
マジックの身長は201cmの大型PGで、殆どのチームは彼にPGをマッチアップさせます。ところが多くの場合、クイックネスやスピードで勝っても、身長が10cm以上も低くなるために、彼の視野を妨げることが出来ず、尚且つ頭の上から楽にパスされてしまいます。ミスマッチを避けようと長身選手をマッチアップさせると、マジックの方が身体能力があり、テクニックも上手いために翻弄されてしまいます。それがマジックのマジックたる所以ですが。
ところがピッペンは196cmもありフットワークがよいので、攻撃のとき、ドリブルしながらトップから指示を出すマジックの視野を遮り、尚且つプレシャーを与えて、マジックが得意とするドリブルインを止め、攻撃リズムを狂わせます。そうしてプレーオフのスタッツが平均21.8得点12.6アシストのマジックを14得点10アシストに抑えてしまいました。
その上凄いことに、3Qではレイカーズのお株を奪う攻撃で38-26として逆転してリードを奪いました。何が凄かったのか?
この一連の逆転劇は、ジョーダンはファールトラブルでベンチに下がって居た時の出来事だったことなのです。
ブルズはジョーダン一人のチームではなくなりました。
また、この2ゲームでジョーダンはPGとして25本のアシストを配給しています。
ここでのブルズFG確率61.7%は、NBAファイナルの記録を作りました。
もう一つ有名になったのは、ジョーダンの身体を伸ばしてのレイアップシュートの写真です。ペネトレイトしたジョーダンがダンクをかまそうとした時、ゴール下に大学の同期の#14パーキンスが構えていたのを見て、ダンクを止めてボールを右手から左手に持ち替えて掬うようなシュートをしている場面です。多くの雑誌に掲載されていたので、一度はご覧になったことがあるのではないかと思います。
後日その時のことをジョーダンは次のように語っています。「ブロックの上手いパーキンスがゴール下に居たので、ダンクを止めて左手のレイアップにしたんだ。」
ブルズはシリーズを1勝1敗のタイに持ち込んでレイカーズのホーム、グレート・ウェスタン・フォーラムへ場所を移して3戦行います。
GAME 3
このゲームも競りました。ブルズがリードしていたものの、レイカーズのパーキンスとブラディ・ディバッツのシュートで終了間際に追いつかれ逆転を許しますが、今度はジョーダンがしっかりと決めてオーバータイム(延長)に持ち込みます。
そうなればブルズ、いやジョーダンのペースで、ブルズはオーバータイムでは12-4と大差を付けて104-96で楽に逃げ切りました。
GAME 4
レイカーズがリードを奪ったのは最初のQだけです。2Qはブルズがスパートして52-44とリードして後半に入りますが、3Qもレイカーズのシュートが入らず、74-58となおもリードを広げます。
その上レイカーズに悲劇が降り掛かりました、平均21得点のジェームズ・#42ウォージーと13得点のバイロン・スコット(現ホーネッツ・コーチ)がケガをして、出場できなくなります。その結果97-82で敗れました。これでブルズは3勝1敗として、初のNBAチャンピオンに王手をかけました。
GAME 5
ウォージーとスコットの居ないレイカーズはたとえ主役のマジックが20アシストを記録しても、ジョーダンのいるブルズを倒すには力不足でした。
地元で相手の優勝シーンを見たくないレイカーズはエルデン・キャンベル等の活躍もあり、3Qまではリードをしていましたが、最後のところでスパートしたのはブルズです。3Pを量産して5分ほどで10得点したのはジョーダンではありません。シューターとして有名な#5ジョン・パクソンです。
108-101の勝利でジョーダンと彼のブルズは初の栄冠に輝きます。その瞬間ジョーダンはコートで跳ね回りチームメイトと抱き合いもみくちゃにされながらロッカールームに走って行きました。シャンパンファイトが終わっても優勝トロフィーをズーッと抱き続けていたジョーダンが印象的でした。
NBAに入って7年間、長い道のりを越え、やっとタイトルを獲得した感激はいかばかりのものか。
ジョーダンとブルズの新しい歴史はここから始まります。
この年、#23ジョーダンはアメリカ最大手のスポーツ週刊誌「Sports Ilustrated」が選ぶスポーツマン・オブ・ジ・イヤー(年間最優秀スポーツ選手)に輝きます。下の写真はその表紙です。顔写真がホログラフになっており、そこにサインが入っています。
UNC(ノースカロライナ大、彼の母校)のショップで$100で買ったのですが「サインが偽者っぽい」と言はれています(泣)

2008年3月11日
NBA黄金期到来−ブルズの時代へ
どんな競技やイベントにも、日の当たらない時期と言ふのはあるのもので、NBAでは89-90シーズンは記憶に残っていない、と言ふ人が多いのじゃないでしょうか(笑)
89-90
ミネソタ・ティンバーウルブズとポートランド・トレイルブレイザーズがエクスパンション・チームとして新たに加わりました。現キングスのコーチ、レジー・テスがブレイザーズのメンバーに入っています。
このシーズンは84年ドラフト組が台頭してきたシーズンでもあります。
得点王にマイケル・ジョーダン(26歳)、リバウンド王をロケッツのアキーム・オラジュワン(26歳)、アシスト王はジャズのジョン・ストックトン(27歳)が獲得しています。また85年組のニックス、パトリック・ユーイング(27歳)、ジャズのカール・マローン(26歳)の活躍が見られました。
また、この年にはスパーズに待望のスーパーセンターのデビッド・ロビンソン(215cm)が入団しました。彼は87年のドラフト1位ですが、入団は2年後の89年です。
なぜなら、彼は海軍士官学校に在籍していたために、卒業後は2年間の兵役の義務があったからです。スパーズはそれを承知の上で学生#1選手をドラ1で指名したのです。2年間待った甲斐がありました(笑)
前シーズンは21勝61敗と言ふ悲惨な成績が、彼のお陰で56勝26敗という成績を残し、ミッドウエスト・ディビジョンのトップへと大飛躍しました。
ディフェンディング・チャンピオンのピストンズはレギュラーシーズンに59勝を挙げて余裕を見せますが、プレーオフのイースタン・カンフェレンス・ファイナルでは肝を冷やします。ジョーダンのブルズに3勝3敗と粘られました。ブルズは元ニックス選手のフィル・ジャクソンがコーチとなって、禅の思想や、選手が公平にボールを触れる機会を与えるトライアングル・オフェンスと言ふシステムを取り入れ、前シーズンより8勝も多くなり、若手中心ながら、確実に伸びてきていました。
一方レイカーズは、スーパーセンターのカリーム・アブドゥル・ジャバーを引退で失ったものの、前年までの財産のお陰で勝数を伸ばしましたが、PGケビン・ジョンソン(先週、サクラメントの市長選に出馬するとか噂が流れていましたね)、Fのトム・チェンバレンバース、ジョン・ホーナセックのサンズに足元をすくわれてしまいます。
そのサンズも、ロビンソンを始め10人もメンバーを入れ替え、新チームに生まれ変わったスパーズを下してきたトレイルブレイザーズとウエスタンのファイナルで対戦して敗れました。
NBAファイナルはオールラウンダーのクライド・ドレクスラーを中心に、シューターのテリー・ポーターや力強いベテランのバック・ウイリアムス、インサイドにケビン・ダックワースと良いメンバーをそろえたトレイルブレイザーズでしたが、数年先を見越したチーム作りの途中だったため、経験豊富なピストンズが4勝1敗で連覇を果たします。
<89-90 レギュラーシーズン順位>
イースタン・カンフェレンス
◇アトランティック・ディビジョン
1.フィラデルフィア・76ers 53勝29敗
2.ボストン・セルティックス 52勝30敗
3.ニューヨーク・ニックス 45勝37敗
4.ワシントン・ブレッツ 31勝51敗
5.マイアミ・ヒート 18勝64敗
6.ニュージャージー・ネッツ 17勝65敗
◇セントラル・ディビジョン
1.デトロイト・ピストンズ 59勝23敗
2.シカゴ・ブルズ 55勝27敗
3.ミルウォーキー・バックス 44勝38敗
4.クリーブランド・キャバリアーズ 42勝42敗
5.インディアナ・ペーサーズ 42勝42敗
6.アトランタ・ホークス 41勝41敗
7.オーランド・マジック* 8勝64敗
ウエスタン・カンフェレンス
◇ミッドウエスト・ディビジョン
1.サンアントニオ・スパーズ 56勝26敗
2.ユタ・ジャズ 55勝27敗
3.ダラス・マーベリックス 47勝35敗
4.デンバー・ナゲッツ 43勝39敗
5.ヒューストン・ロケッツ 41勝41敗
6.ミネソタ・ティンバーウルブズ 22勝60敗
7.シャーロット・ホーネッツ* 19勝63敗
◇パシフィック・ディビジョン
1.ロサンゼルス・レイカーズ 63勝19敗
2.ポートランド・トレイルブレイザーズ59勝23敗
3.フェニックス・サンズ 54勝28敗
4.シアトル・スーパーソニックス 41勝41敗
5.ゴールデンステート・ウォリアーズ 37勝45敗
6.ロサンゼルス・クリッパーズ 30勝52敗
7.サクラメント・キングス 23勝59敗
*エクスパンション・チームは組織の関係で、数年は本来のディビジョンでは無い所へ加盟することがあります。
90-91
盛り上がらなかった前シーズンのファイナルはさておいて、NBAを知らない人でもその名だけは知っているであろう世界のスーパースター、マイケル・ジョーダンが日の目を浴びたシーズンです。
このシーズン、世間ではジョーダンは「ウィルト・チェンバレンになるのか、ビル・ラッセルになるのか?」と言はれていました。
生涯の平均得点はチェンバレンの30.1点に対し、ラッセルは半分の15.1点ですが、ラッセルはMVPに5度輝き、「ディフェンスの神様」とも呼ばれています。
一方、チェンバレンは1ゲーム100得点と言ふ記録を持ち、得点に関しては腐るほどの記録や賞を持っていますが、チャンピオンリングは、ラッセルが11個持っているのに対し、たったの2個しか持っていません。
チェンバレンを引き合いに出して、4年連続で得点王に輝きながら優勝していないジョーダンを暗に批判していたのでしょう。ジョーダンは優勝より個人成績を優先しているとか、ジョーダンにはチームを優勝へ導く力はない、とか。
しかし優勝を一番望んでいたのは他ならぬジョーダン自身でした。優勝するためなら得点王は不要で、チームメイトの力が必要だとわかり、このシーズンから積極的にパスを廻しはじめます。
ジョーダンの当面の敵は前シーズンもカンフェレンス・ファイナルで3勝3敗と後一歩の所まで追い詰めながら敗れてしまったピストンズです。
フィジカルなディフェンスで、怖がらせたり感情的にさせたりするベテランの術中に嵌って敗れた反省を活かし、レギュラー・シーズンで貴重な勝利を挙げました。
シーズン中にプレーオフで対戦が確実視されているチームとの対戦では、手の内を見せないためとか、相手の戦力を確かめるためとして全力を出さないチームもありますが、ジョーダンは違います。正面からぶち当たり、全力で戦います。
今まで負け続けてきた強敵ピストンズに対して95-93で勝ったのです。また、このゲームは単に勝利したことだけが収穫ではありませんでした。一番の収穫は相棒スコッティー・ピッペンがジョーダンの30得点に続く20得点を挙げたことです。
これで若いブルズは自信をつけました。もうジョーダンのワンマン・チームではないのです。
そしてプレーオフではカンフェレンス・ファイナルでピストンズと顔を合わせます。
相手のフィジカルなディフェンスに対抗してピッペンが一発ぶちかますと、逆にピストンズが驚きました、去年とは違うぞ、と。
結局このシリーズはスイープ(4戦全勝)でした。ゲーム4では、最終Qにはピストンズ主力がベンチを離れロッカーへ戻ってしまう有様です。惨めな姿を地元デトロイト・ファンに見せなかったのは強者のプライドがそうさせたのでしょう。それだけ完敗した、と言ふことです。
いよいよブルズ、念願のNBAファイナルです。それは次回へ…
<90-91レギュラーシーズン順位>
イースタン・カンフェレンス
◇アトランティック・ディビジョン
1.ボストン・セルティックス 56勝26敗
2.フィラデルフィア・76ers 44勝38敗
3.ニューヨーク・ニックス 39勝43敗
4.ワシントン・ブレッツ 30勝52敗
5.ニュージャージー・ネッツ 26勝56敗
6.マイアミ・ヒート 24勝58敗
◇セントラル・ディビジョン
1.シカゴ・ブルズ 61勝21敗
2.デトロイト・ピストンズ 50勝32敗
3.ミルウォーキー・バックス 48勝34敗
4.アトランタ・ホークス 43勝39敗
5.インディアナ・ペーサーズ 41勝41敗
6.クリーブランド・キャバリアーズ 33勝49敗
7.シャーロット・ホーネッツ 26勝56敗
ウエスタン・カンフェレンス
◇ミッドウエスト・ディビジョン
1.サンアントニオ・スパーズ 55勝27敗
2.ユタ・ジャズ 54勝28敗
3.ヒューストン・ロケッツ 52勝30敗
4.オーランド・マジック 31勝51敗
5.ミネソタ・ティンバーウルブズ 29勝53敗
6.ダラス・マーベリックス 28勝54敗
7.デンバー・ナゲッツ 20勝62敗
◇パシフィック・ディビジョン
1.ポートランド・トレイルブレイザーズ 63勝19敗
2.ロサンゼルス・レイカーズ 58勝24敗
3.フェニックス・サンズ 55勝27敗
4.ゴールデンステート・ウォリアーズ 44勝38敗
5.シアトル・スーパーソニックス 41勝41敗
6.ロサンゼルス・クリッパーズ 31勝51敗
7.サクラメント・キングス 25勝57敗

マイケル・ジョーダン/撮影:あんどうたかお

クライド・ドレクスラー/撮影:あんどうたかお
2008年2月28日
"BAD BOYS"ピストンズとジョーダンの"The Shot"
4年連続ファイナル出場を果たしたボストン・セルティックスですが、ベテランが多い分、怪我といふリスクが付いて回ります。ベスト・シックスマン(最優秀控え選手とでも訳すのか?)のビル・ウォルトンがやはり膝の状態が思わしくなく引退しました。
87-88
優秀な控え選手を失ったセルティックスですが、レギュラー・シーズンは57勝を上げ、54勝のデトロイト・ピストンズを上回りイースタンでは首位をキープしました。
しかしインディアナ大で全米チャンピオンを獲ったポイントガードのアイザイア・トーマスを中心に、点取り屋エイドリアン・ダントリー、相手やレフリーの裏をかくのが得意なビル・レインビアー、リバウンドを頑張るリック・マホーン、クレバーで努力家のジョー・デュマース、そして若かりし頃のデニス・ロッドマン等々が身体を張ったディフェンスでマイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズを撃破しました。
ピストンズはジョーダンにはシーズン中59得点されており、その対策(報復?)としジョーダン・ルールと言ふディフェンス・システムを敷きます。身体をぶつけたりするようなフィジカルな面は勿論ですが、戦術的に、ドライブを始めたらパスをしないジョーダンに対し、わざとドリブルのコースを空けて誘い込み、シュートに跳んだところを数人でブロックに跳ぶ、と言ふやり方です。
これがマンマと成功して、セミファイナルは5戦で終わることが出来ました。
そしてセルティックスを下してNBAファイナルへ進出です。
ちなみに、このシーズンのMVPはジョーダンが初めて受賞しました。
一方、ウエストはディフェンディング・チャンピオンのロサンゼルス・レイカーズが順当にファイナルへ、と言ひたいところなんですが、楽勝したのは第1ラウンドのサンアントニオ・スパーズ戦だけで、カール・マローン、ジョン・ストックトンの居るユタ・ジャズに4勝3敗、ウエスタン・ファイナルではマーク・アグアイアーやローランド・ブラックマンを擁するダラス・マーベリックスにも4勝3敗と苦戦してのファイナル進出でした。
ファイナルはLAで始まりましたが、アウェーのピストンズが先勝した後、レイカーズが2連勝して巻き返し、ゲーム4・5と連続で獲ったピストンズが王手をかけたゲーム6、これがこのファイナルのキーとなりました。
古くからのNBAファンなら記憶に残っていると思います。伝説となったアイザイア・トーマスの43得点です。勝てば念願の初優勝と言ふゲームで不幸にもトーマスは足首を捻挫してしまいました。
そこでベンチに下がったらそれだけの選手ですが、足を引きずりながらその後もプレーし続けて第3Qには25得点、これはNBAファイナルの1Qでの最高記録として未だに破られていません、トータルで43得点です。ワンプレーごとに痛みを感じているのが判り、見ている方も辛いものがありましたが、その不屈の精神には感服しました。
しかし勝負の女神はトーマスには微笑んでくれません。
最後はカリーム・アブドゥル・ジャバーにフリースローを2本決められて103-102で逆転負けとなりました。
最終のゲーム7、アイザイアは万全でない上に、レイカーズは「Big Game James」と言はれるジェームス・ウォージーが本領を発揮します。UNC(ノースカロライナ大)でもジョーダンと一緒に戦ったNCAA(全米大学選手権)決勝戦で28得点するなど勝負強いことで有名でしたが、36得点、16リバウンド、10アシストの大活躍。108-105で勝ってレイカーズは昨年に続いての優勝でトゥーピート(2連覇)を達成しました。
ちなみにウォージーのトリプル-ダブルは生涯でこの1回だけです(笑)
優勝後、コーチのパット・ライリーは「来年も勝ってスリーピート(3連覇)する」と言ひかけたところ、選手から口を押さへられてしまったとか。連覇するということは並大抵の努力じゃ出来ないと言ふことです。
ちなみにこの「スリーピート」と言う言葉はライリーの造語ですが、彼はこれを商標登録しました。
もし翌年勝ってスリーピートしたら、彼にはお金が入ってくることになります。さて。
88-89
このシーズンから新たにシャーロット・ホーネッツとマイアミ・ヒートが加わりました。
またNBA20年間プレーして6度のMVPを獲得しているスーパーセンターのアブドル・ジャバー42歳がこのシーズン限りで引退すると発表しました。
ジョーダンは3度目の得点王、マジックは2度目のMVPとなっています。
ピストンズはシーズンを63勝19敗と言ふ驚異的な成績で2位キャバリアーズを6ゲーム離してイースタン・カンフェレンスのトップでプレーオフに突入しました。
ただシーズン途中で、得点源だったエイドリアン・ダントリーをトレードで放出しました。これはディフェンスに重きを置くピストンズのスタイルとは合わなかったためですが、交換で獲得したマーク・アグアイアーはトーマスの親友と言ふことで、疑問が残るトレードとも言はれたようです。アグアイアーもボールを持ったら離さない点取り屋でしたから。
プレーオフでは全米の注目を浴びるパフォーマンスがありました。
ジョーダン・ファンならずとも良く知られている「The Shot」です。
前年もキャブスとプレーオフで死闘を演じたブルズでしたが、シーズンではブルズはキャバリアーズに6戦全敗していて前評判は芳しくありません。
しかしプレーオフは接戦で最終ゲームまで縺れ込みました。
そのゲーム5も残り3秒で99-100、ブルズ1点負けです。右センターライン付近からのスローインのボールを受けるのはジョーダン。2人のディフェンスに挟まれながらも右45でボールを受けたジョーダンはドリブルでマークマンのグレッグ・イーローを抜いて真横のフリースローライン付近へ。
そこでジャンプすると、抜かれたイーローが横から跳んでブロックを試みますが、後から跳んだ筈のイーローが着地してからジョーダンはややバランスを崩してシュート。
ボールが空中にある時ブザーが響き、ボードに時間切れの赤いランプが付く。
低い弾道のシュートは奥のリムに当たりネットに吸い込まれる。
ブザービーターの逆転シュート。ジョーダンならではのプレーといえるでしょう。
しかし続くイースタン・カンフェレンスファイナルでは宿敵とも言へるピストンズにまたも打ちのめされました。身体を張ったピストンズのジョーダン封じの前に、パスをしないでシュートばかりの悪い癖を突かれて敗退しましたが、今回は何かを掴んだようです。
一方ウエスタンはレイカーズが57勝25敗、2位フェニックス・サンズを2ゲーム離しての首位でした。
NBAファイナルは2年続いてのレイカーズ-ピストンズです。
前年はピストンズが怪我に泣き、今度はレイカーズが怪我に泣く番です。
ゲーム1ではバイロン・スコット(現ホーネッツのコーチ)がつま先を、ゲーム2では大黒柱マジック・ジョンソンが膝を痛めました。
数年前であればアブドゥル・ジャバーさえ居ればどうにかなったでしょうが、スタメン2人を欠いては話になりません。
その上ピストンズはジョー・デュマース(現ピストンズ、バスケットボール・オペレーション社長)が大当たりで、デトロイトから始まったファイナルはデトロイトへ帰ることも無くピストンズがスイープ(全勝)で初優勝しました。
昨年と今年で怪我をして負けた両チームのスター達、実は大の親友同士なのです、皮肉ですね。
ライリーのスリーピートの夢は破れ、ビジネスもご破算でした(笑)
「バッド・ボーイズ」、ピストンズの大暴れはまだ続きます。

2008年2月14日
マジック・ジョンソンとラリー・バード(3)
マジックが天性の明るさと人懐っこい性格なのに対し、田舎育ちで朴訥なバード。ノールック・パスやショータイム・バスケットで素人に魅せるバスケットをするマジックに対し、バスケットを良く知った玄人好みのバスケットを展開するバード。
この対照的な二人は学生時代から全米でも有名なライバル関係にあり、NCAAファイナルやファイナルを含んだNBAでのゲームを通して接点はあったものの、コート外では友人と言ふわけでは有りませんでした。
その二人が私生活で仲良くなったのは84年のコンバース社のCM撮影でのことです。
CM撮影と言ふのは、私も経験が有りますが(別に私が出演したわけじゃないですよ、アドバイザーとして参加しただけです)実に暇な時間が多いものなんです。リハーサルに入るまでが長いですから、その上1回リハーサルすると、照明の位置を変えたり、後ろのセットの修正や変更で30分から1時間程度は楽に掛かりますが、それを何回となく繰りかえされるので、役者は暇を潰すのが大変です。
バードとマジックもその時に色々とバスケットの話をして、相通ずるところがあり、仲良くなったと言はれます。
NBAの2大スター競演のCM(映画「OK牧場の決闘」を連想させるシーン)が茶の間に流れたことで、NBA人気向上に大きな役割を果たしたと言はれています。
更にNBAに追い風になったのが新コミッショナーに弁護士のデビッド・スターンが就任して、新感覚の人気拡大策を打ち出したことです。それは1992年バルセロナ・オリンピックへのドリームチーム参加に繋がる「世界戦略」と言はれるものです。
そしてもう一つの追い風は84年夏のドラフトです。
この年は新人の当たり年と言はれ、後世に名を残す名選手がドラフト指名されています。
1位 アキーム・オラジュワン/213cm/ヒューストン大/ヒューストン・ロケッツ
2位 サム・ブーウィー/215cm/ケンタッキー大/ポートランド・トレイルブレイザーズ
3位 マイケル・ジョーダン/198cm/ノースカロライナ大/シカゴ・ブルズ
4位 サム・パーキンス/205cm/ノースカロライナ大/ダラス・マーベリックス
5位 チャールズ・バークレー/198cm/オーバーン大/フィラデルフィア・76ers
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
16位 ジョン・ストックトン/185cm/ゴンザガ大/ユタ・ジャズ
中でも3位マイケル・ジョーダンは説明の必要も無いほど全世界でのセレブとなって、世界にバスケットとNBAを広めた男として知られます。
他の選手も今後のHistoriviaで出てきますから、覚えておいてください.
そんな優秀なルーキーを加えた84-85シーズンを検証する前に、ロサンゼルス・オリンピックのことに少し触れなくてはいけません。
ジョーダン、パトリック・ユーイング(213cm/ジョージタウン大)、クリス・マリン(198cm/セントジョーンズ大)達、後のドリーム・チームメンバー3人を含んだこのUSAチームは、準々決勝で西ドイツに78-67だったのが最少得点差で、それ以外は30点以上離すことも多く、対スペインの決勝戦も96-65と圧勝して優勝しました。
とは言へ、それでもバスケットボールファンの注目の的は、84-85シーズンのセルティックス−レイカーズのマッチアップでした。
マジックを筆頭に、38歳になった218cmカリーム・アブドル・ジャバー、前年はファイナルで怪我をして雪辱に燃えるショータイム・バスケットの特急列車ジェームズ・ウォージー、3Pシュートの得意なバイロン・スコット、スピードあるセンターのボブ・マッカドゥー、ディフェンスの上手いマイケル・クーパー(彼はパンツの紐を外に長く出してるので有名でした)等々走ることの好きな選手が集まったレイカーズは62勝を挙げ、2位ナゲッツに10ゲーム差を付けてプレーオフに進出しました。
一方のディフェンディング・チャンピオンのセルティックスも好調でした。
バードはキャリアを通じて最高のシーズンとも言はれる28.7得点、10.5リバウンド、6.6アシストを記録したばかりじゃなく、ロバート・パリッシュ、ケビン・マクヘイル、デニス・ジョンソン、ダニー・エインジ等の活躍で63勝をあげてプレーオフ進出です。
NBA39年の歴史の中で、セルティックスvsレイカーズのファイナル対決はこれで7度目となります。もうこれは、完全に伝統の一戦といっていいはずです。
ところがレイカーズは8度(ミネアポリス時代も含む)を数える優勝経験の中で、セルティックスに勝っての優勝は一度もありませんでした。その上前シーズンは3勝3敗で最終戦にもつれ込むほどの接戦の末敗れてしまったので、彼らは1年中雪辱に燃え、世間もまたそう思っていたのです。
意気込んでボストンに乗り込んできたレイカーズでしたが、ゲーム1は148-114で大敗を喫しました。しかしこれがかえって彼らの闘志を煽ることとなりました。
ゲーム2はアウェーながら109-102で勝ったことが流れを戻すことになり、LAへ帰ってのゲーム3も136-111と大勝して2勝1敗とリードします。
流石にゲーム4はセルティックスが盛り返し107-105で2勝2敗のタイに持ち込まれたものの、ホームでの戦いはもう1ゲーム残っていました。ボストンで1勝した重みがここで効果を発揮したわけです。ゲーム5を再び120-111で取りました。
ボストンの人達がザ・ガーデンと呼ぶザ・ボストン・ガーデンは、未だ敵チームが優勝したことのないセルティックスの聖域です。3勝2敗と王手をかけてそこへ乗り込みです。
111-100でレイカーズが6ゲーム目で優勝を決めたとき、ザ・ガーデンは静まり返りました。
62年に初めてセルティックス−レイカーズがファイナルで対戦して以来23年目のことになります。
85-86シーズン、セルティックスは電撃トレードを敢行しました。81年ファイナルMVPのセドリック・マックッスウェルをクリッパーズに送り出し、獲得したのは77-78シーズンMVPのビル・ウォルトンです。高いバスケットIQと豊富な経験と高い身体能力を持ちながら、膝が弱く欠場の多い213cmのセンターとして有名な選手でした。
輝かしい実績を持つウォルトンがシックススマンとしてベンチに控えるほどセルティックスのメンバーは強固で、お陰で前シーズンを上回る67勝15敗と、大変な強さを発揮しました。
あのジョーダンはNBA入り2シーズン目です。開幕数日前に怪我しましたが、どうやらプレーオフには間に合いました。
どうにか間に合ったプレーオフの第一ラウンドでジョーダンは途轍もないことをしてしまいます。
セルティックス相手のゲーム2、ダブルオーバータイム(再延長)ながら63得点と言ふプレーオフ記録を打ち立てたのです。
それを見たバードは「彼はマイケル・ジョーダンの姿をした神に違いない」と言ふ有名な言葉を残しています。
結果的にはセルティックスが3勝0敗でブルズをスイープして、その後もアトランタ・ホークス、ミルウォーキー・バックスに勝ってNBAファイナルへ進出しました。
ところがウエスタン・カンフェレンスでは大変なことが起こっていました。2ピート(二連覇)を狙うレイカーズがヒューストン・ロケッツにカンフェレンス・ファイナルで1勝4敗と言ふ惨敗を喰らい敗退したのです。
ロケッツ、二度目のファイナル出場となりますが、このチームは凄い武器を2枚持っていたのです。一人は83年のドラフト全体1位、バージニア大時代から騒がれていた大物ラルフ・サンプソンと言ふ220cmのフォワードです。
そしてもう一人がその翌年の全体1位のオラジュワンです。
ドリーム・シェイクと呼ばれるスピードのあるピボット・ターンと柔らかいシュートタッチが武器で、サンプソンと組んで「ツイン・タワー」を形成しました。220cmと213cmとセブンフッターが二枚居てはさすがのアブドル・ジャバーも防ぎきれません。
ところがファイナルの相手セルティックスはインサイドに216cmパリッシュ、208cmマクヘイル、213cmウォルトンと3人も経験豊富な人材を揃えていて、彼らがボールを持った二人に対してダブル・チーム、時にはトリプル・チームであたれば、いくら才能があってもNBAの経験が2年にも満たない二人にはかつてない重圧となって襲い掛かりました。
ホームコート・アドバンテージもあってセルティックスは4勝2敗で16回目、そして最後となるNBAチャンピオンに輝きました。
86-87シーズンは、ディフェンディング・チャンピオンのセルティックスは59勝を上げたものの、ウォルトンとスコット・ウェドマンのベンチプレーヤーが怪我をしたため、主力選手のプレータイムが長くなってしまいました。
一方レイカーズはアブドル・ジャバーが40歳になったこともあり、マジックが得点する作戦に切り替えたのですが、これがアブドル・ジャバーの負担を軽くすることに繋がりました。
プレーオフでセルティックスは思わぬ苦戦を強いられます。カンフェレンス・セミファイナルのバックスに4勝3敗、力をつけてきたデトロイト・ピストンズとのカンフェレンス・ファイナルも4勝3敗で勝ったものの、2回も最終ゲームまで戦わなければならなかったのです。
一方レイカーズはカンフェレンス・ファイナルでシアトル・スーパーソニックスを4勝0敗とスイープして、早々とNBAファイナル進出を決めました。8度目の対決です。
1週間休めたレイカーズと2日間しか休みのないセルティックス。その上レイカーズのホームから始まるというアドバンテージもあり、レイカーズが簡単に2連勝しました。
そして2勝1敗で迎えたボストンでのゲーム4、大接戦で迎えた残5秒。105-106とレイカーズが1点ビハインドの場面で、マクヘイル、バード、パリッシュの3人のディフェンスが居たにもかかわらず、見事逆転勝ちを収め、前年の雪辱を果たして10度目のNBAチャンピオンとなりました。
しかし、新しい波はヒタヒタと押し寄せてきます。
2008年1月31日
マジック・ジョンソンとラリー・バード(2)
80年ファイナル、NBA入りしたシーズンに優勝して、かつMVPまでも獲得したマジック・ジョンソンに対して、ラリー・バードも遅れを取ったわけではありません。
翌80-81年シーズンはNBAファイナルでヒューストン・ロケッツを下し、彼は初めて優勝を味わいました。
ロケッツは高校から直接NBA入りしたモーゼス・マローン、その後ドリーム・チームのコーチも務めた豪快なルディー・トムジャノビッチ、現クリッパーズ・コーチの頭脳派ガード、マイク・ダンリービーと言ふ、今考えると豪華なメンバーでした。
セルティックスは79年にバードを獲得して、ガードに小柄ながらシュート力もガード力も持つネート・アーチボルド、機動力を持つ小柄なセンターのデーブ・コウエンズ、得点力を誇る大型フォワードのセドリック・マックスウェル、ついでに言えば晩年のピート・メラビッチが途中加入してきました。
そして80年夏、後にビッグ3と呼ばれるメンバーのロバート・パリッシュとケビン・マクヘイルを獲得した足固めが、81年の14回目の優勝に繋がったわけです。
この80-81年シーズン、マジックは開幕1カ月ほどで左膝を怪我して45ゲームを欠場したため、プレーオフでは上のロケッツに第一ラウンドで敗れてしまいます。
マジックのレイカーズが勝った翌年にバードのセルティックスが優勝したこと、これがセルティックス−レイカーズの黄金時代が到来したというわけではありません。
セルティックスの所属するイースタン・カンファレンスにはDr.J率いるフィラデルフィア76ersが立ちはだかっていました。
Dr.Jことジュリアス・アービングはABAのスーパースターでした。身体能力を活かした華麗なダンクと得点力が有名ですが、他に得点力のあるガードのアンドリュー・トニー、シュートの上手い大型白人フォワードのボビー・ジョーンズ、頭脳派ポイントガードのモーリス・チークス(現シクサーズ・コーチ)、ダリル・ダウキンスが居ました。
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ところで、現在のボードはリングとボードを支える金具や支柱と一体化されていますが、それはこのダウキンスのお陰です。
79年11月シクサーズvs.キングス戦で彼は豪快なダンクをかませました。そこまでは良いのですが、ダンクした後もリングを掴みっぱなしにしました。115kgの彼が弾みをつけてリングにぶら下がったものですから、全体重が掛かったリングの付け根は堪ったものではありません。
当時のリングはプラスティックのボードにビスで直接留めてあっただけなので、そこからボードが粉々に砕けてしまって雨のようにコートに降り注ぎました。当のダウキンスはどうしていたかと言うと、リングを握ったまま、興奮してうめいていました(笑)。
このシーンはテレビで全米に何千回と流され、歴史的シーンとなりました。
ちなみにこのダンクのことを彼は「ザ・チョコレートサンダー・フライング、ロビンザイン・クライング、ティース・シェーキング、グラス・ブレーキング、ランプ・ロースティング、バン・トースティング、ウァム・バン、グラス・ブレーカー・アイ・アム・ジャム」と名付けたそうです、意味が判りませんね(笑)
その後リングの背面に鉄板が補強され、現代は支柱と直接つないで、大きな負荷に耐えられる仕組みになったのです。
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レイカーズは得点力と機動力のあるセンターのボブ・マッカドゥーを獲得し、マジック、ノーム・ニクソン、ジャマール・ウィルクス、ミッチ・カプチャック、カリーム・アブドル・ジャバー、マイケル・クーパーと言ふメンバーに、74、75、76年に得点王となったマッカドゥーがベンチスタートという強さで、ファイナルでシクサーズを4勝2敗で下し、ミネアポリス時代から数えて8回目のNBAチャンピオンとなりました。
82-83年シーズン、レイカーズは大学チャンピオンUNC(ノースカロライナ大)から快足フォワードのジェームス・ウォージーをドラフト全体1位指名で獲得しました。これがのちにレイカーズの代名詞となったショー・バスケットの礎となります。
とは言へ、ウォージーを獲得したからといって優勝出来るほど世の中は甘くありません。
レイカーズがウォージーを獲得すれば、前シーズン敗れたシクサーズはロケッツからマローンをトレードで獲得しました。それまでリバウンド王を3回(合計では6回)獲得している7シーズン目の優勝経験を持つベテラン仕事人です。
アウトサイド陣には優秀なメンバーが居るところへの補強です。ジグソーパズルに例えれば、まさに最後の1ピースが嵌ったと言ふことです。
しかし、結局はシクサーズがレギュラーシーズン終了1週間前にウォージーが足を骨折したレイカーズをファイナルでスイープ(4勝0敗)して、67年にウォルト・チェンバレンが優勝した時以来16年ぶりの優勝を果たしました。
83-84年シーズンから、いよいよレイカーズ−セルティックス時代、またはマジック−バード時代が本格的に幕を明けます。
全米が待ち焦がれていたマジック-バードのNBAファイナルでの初対決です。
セルティックスはレギュラーシーズンをディフェンディング・チャンピオンのシクサーズに10ゲーム差をつけ、62勝20敗と言ふ圧倒的な強さを示しました。
一方レイカーズはアブドゥル・ジャバーが4月5日にチェンバレンの持つ生涯個人得点記録31,419点を抜き去り、単独得点王となりました。
マジック-バード時代になって始めてのセルティックス-レイカーズと言ふ伝統チーム同士のファイナルは、プロ野球で例えるなら巨人-阪神が最終戦でリーグ優勝を賭けて戦うようなものです。大いに盛り上がり、期待にそぐわぬ熱戦を展開しました。
ゲーム1(@ボストン)
115-109でレイカーズが1勝目をあげました。
ゲーム2(@ボストン)
残18秒に115-113でレイカーズがリードして、尚且つレイカーズのボール。誰もがレイカーズのスイープが頭によぎった時、セルティックスが奇跡を起こしました。セルティックス・マジックとでも言ふのか、絶体絶命になると神様が手を差し伸べてくれます。65年のシクサーズ相手のイースタン・ファイナルでは残り5秒で相手スローインをジョン・ハブリチェックがスティールして1点差を守り切ったプレーは伝説となりました。今回は、ジェラルド・ヘンダーソンが残18秒にパスをスティールして速攻を決め、オーバータイム(延長)に持ち込み、見事逆転勝ちしました。
ゲーム3(@ロサンゼルス)
137-104 マジック21アシストを記録。
ゲーム4(@ロサンゼルス)
セルティックスは前のゲーム終了後の記者会見で「意気地がない」とバードが発言したことに発奮して、身体を張ったプレーでオーバータイムの末に129-125で勝利し、2勝2敗のイーブンに持ち込みました。アウェーでの勝利は大きいですね。
ゲーム5(@ボストン)
ザ・ガーデン(ボストン・ガーデン)の魔物が出ました。当時のホームコートのザ・ガーデンは古い建物に加えてセルティックスの伝統的な強さ、神がかり的な同点、逆転劇が多いことから、相手チームは「あそこには魔物が住んでいる」とさえ言います。
この6月8日は暑い日でしたが、古いこの建物にはエアコンがありません。場内は36度を越す暑さです。その上、どう言ふ訳だかアウェー・チームのロッカー・ルームには扇風機すら置いていません。勿論ホームのセルティックスのロッカー・ルームには置いてあります(笑)。
結局、121-103でセルティックスが勝ちました。
ゲーム6(@ロサンゼルス)
119-108でレイカーズが勝ち、3勝3敗でいよいよ最終ゲームを迎えます。
ゲーム7(@ボストン)
地元へ帰ればセルティックスは俄然強さを発揮します。普段は精神的支柱のセドリック・マックスウェルが24得点8リバウンド8アシストの大活躍、111-102で15回目の優勝を飾りました。
NBAはこのシーズンからプレーオフ出場チーム数が12から16へと増えました。それに伴い、第1ラウンドは3勝先勝制となりました。また、コミッショナーが、ラリー・オブライアンからデビッド・スターンに代わります。
そしてドラフト会議で全体第3位で、あの「神様」が指名されました。
続きます。

