2008年5月13日

澤岻直人(琉球ゴールデンキングス)〜フランチャイズビルダーが歩むべき道

取材・文:小永吉陽子


あの、プレイをもう一度見たい――。

タイトなディフェンスをものともせずにスルっとかわしてゴールに突き進み、ブロックが跳んできても抜群のボディコントロールで制空権を制し、タイミングをずらしてシュートに持ち込む。2枚目のブロックが跳んできても、今度は絶妙な手首と指の加減によってフィニッシュをコントロールする。得点だけではない。遙か先を予測した流れを作り出し、アシストに転じて周りを生かしてみせる。澤岻直人はいい意味で周囲の予想を裏切るプレイヤーだ。
バスケットボールが盛んな沖縄の地で生まれ、コザ中、北中城高時代は「自由奔放な沖縄バスケ」の代名詞にあげられてきた。その後、法政大学、JBLアイシンを経て、2007年、3年目のbjでドラフト1位の看板を背負って故郷に凱旋した。bjリーグ初参戦となる今シーズンは日本人選手唯一のベスト5に選出され、アシスト賞(1試合平均5.8本)に輝くほど、日本人選手の中では力が突出していた。だが、期待を一心に背負ったキングスの初年度は10勝34敗と大きく負け越し、失意のままにシーズンが終わった。
それでも――澤岻直人のバスケットは人々の心を惹きつけて離さなかった。誰の目から見てもわかりやすく、唸るようなプレイをいとも簡単にやってのける。澤岻直人は日本人には数少ない、1on1の能力でお客を呼ぶことのできるプレイヤーだからだ。
ホームゲーム最終日となった4月6日。最下位の成績にも、話好きな彼の口からはとめどもなく言葉があふれてきた。ここに記されているのは、キングスのフランチャイズビルダーとして沖縄を背負い、そしてbj初年度からベスト5を受賞した澤岻直人が心の奥底から語る本音。インタビューから見えるヒューマンストーリーである。


自分も、チームも、迷ったbj1年目

「チームは最下位ですから状態はよくはないです。うちは選手が若いし経験がないから」と言ったあと、堰を切ったかのように言葉が出てきた。「最下位に終わった初年度を振り返って、チームと自身の状態を分析してください」と、ひとつ目の質問をした直後のことだ。

「僕自身のことでいえば、僕がシュートを打たなくなったら点数が動かないし、かといって僕がシュートを打っている間はコントロールができないし、両方(点を取らせる側と取る側)に起点がないとダメですね。うちのチームはまだみんな若いでしょ。だから合わせることができない選手が多い。特に外国人選手は目立ちたいから自分からオフェンスを仕掛けたいんです。自分で引き付けて周りを生かすようなシンプルな動きができない。うちだけじゃなく、bjにはそういう選手がかなり多いと思いますね。僕も高校や大学1、2年まではそうだったのかもしれないけれど」

――キングスは得点を取るのも、仕掛けるのもすべて澤岻選手から。試合のいろいろな場面に絡んでいると、どうしてもミスが多くなる。今の段階では澤岻選手の能力が生かされず、もったいない場面が多々見受けられます。自身ももどかしいのでは?

「キングスでは『どうしたら勝てる?』ということを考えてしまうあまりに、自分のバスケのことは忘れているような気がします。勝つためにどうすればいいかわかっているけれど、それをやったら自分の良さが半減してしまう。普通のチームならやらなくてもいい場面でも、このチームだったらここで点を取りに行かないとダメだという場面がすごく多い。ゲームのポイントで自分が動くんじゃなくて、自分でゲームを動かさないといけないポイントが多すぎるんです。
本当はチームをサポートする側にいたいんですよね。その中でPGとして確率のいいところでスコアしたい。アタックしながら使えるところを使って、確率のいいペネトレートを使ったり、得点をしたり。希望はアシスト10本、得点は15〜20点で、ディフェンスを頑張ること。でも今は僕が20点以上取って、アシスト5本くらいならチームが機能するシチュエーション。だから1年目が終わってどうかと聞かれたら、いい状態とは言えないですよね。若いからこれからでしょうけれど、1年目だから勝てないというのは言い訳です」



「フィーリング」から「確信」のバスケへの脱皮

澤岻直人のプレイは「沖縄特有の独特のリズム」とよく紹介される。でも――その表現は少しばかり違う。確かに独特のリズムを持ってはいるが、それは「沖縄特有」の“自由奔放さ”だけでなく、一方で、バスケットボールに対しては人一倍思慮深く、クレバーな考えのもとプレイに転じているのだ。どういうことかといえば、トリッキーな動きの裏にはディフェンスの動きをよく見ての判断があり、スピードで相手をかわすというよりは、緩急をつけた巧さで翻弄する。つまり、タイミングをずらして自分の空間にするテクニックを持ち併せているといえる。「沖縄特有」と評されるのは、「自称マイペース」な性格が時折顔を出して、コートの中で邪魔をするからだろう。周囲の動きに我慢できなくなると、一人でやり始めて集中の糸が切れてしまうこともある。周りと呼吸さえあえば、人々を感嘆させるビッグプレイが生まれるというのに、周りと噛みあわない場合は先走りしすぎて、とんでもないミスが生じる。ゆえにターンオーバーも多い。ともすれば、“諸刃の剣”になるのが、これまでの澤岻直人だった。

だが、そんな一面を十分に理解しながらも、「彼は変わってきている」と証言するのは、澤岻直人のプレイに惚れ込んでドラフト1位に指名した木村達郎GMだ。
「開幕前、沖縄では『直人にPGが務まるのか?』と言っている人がいました。それは高校時代までの彼しか見ていないから言えるセリフなんでしょう。彼はアイシンに入ってPGの勉強をしたことが間違いなく転機になっている。彼は今、1対1でやるバスケには興味がないはず。それでも1対1では彼の良さが存分に発揮できているのだから、今度は5対5になっても彼の創造性が表せるようなチームにしたいんです。直人は個性的な性格だから誤解されやすいけれど、彼ほど個人で練習をやって努力している選手はいないですから。キングスは直人をフランチャイズビルダー(球団の顔として成長していくこと)にして、直人が生きるチームにしていかなきゃならない。それが今後のキングスの課題です」

「今まではフィーリングでバスケをやってきた」。これは澤岻が大学卒業時に言っていた言葉だ。それが変わってきたのは、木村GMが言うようにアイシンの「考えるチームプレイ」に触れたからだろう。インタビューは澤岻のこれまでの歴史と背景についての質問に移る。

――bjに来る前にはアメリカでトライアウト(サマープロリーグ、NBADL)を経験しました。アメリカ挑戦の動機は何だったのですか?

「アメリカに行きたいと思ったのは大学の時から。というより、バスケは大学で辞めようと考えた時期がありました。将来的にバスケでお金を稼ぐのは無理だと思っていたし、でも小さい人間になりなくなかったので、英語と社会勉強をしながら、一度バスケから離れて気持ちをリフレッシュさせて働こうと思ったんです。ニューオリンズにおばあちゃんがいるので、そこでお世話になりながら、バスケがしたくなったらその時考えようかと」

――独特の感性やプレイの質からいって「澤岻は海外向き」という声も多かったですね。

「でも、自分に能力があるなんて思ったことないし、独特の感覚って何?って感じ。そもそも、自分がバスケットボールを職業として続けるべき人間なのかを考えていたくらいですからね。そうしたら(JBLの)アイシンと東芝から契約の話をもらった。大学のコーチに『JBLには行かないでアメリカに行きます』と言ったら『日本のトップチームの誘いを断ってお前はアメリカで何をするんだ?』と言われました(笑)。
ぶっちゃけ、大学の時はJBLの試合を見てもすごいと思わなかったんですよ。ゲームの流れより個人のスキルばかり見ていて、一目ですごいとわかる能力を持った人がいないから、何がすごいのかわからなかった。JBLで日本的なバスケをしてバスケ人生が終わってしまうのかなあ。だったら、やりたいことをやろうと思ったんです」

――それがなぜJBLに進もうと決心したのですか?

「大学のコーチと相談した時に、僕がアメリカに行っている間に日本で一番のPGと言われる佐古(賢一)さんやノブさん(佐藤信長)、セツさん(節政貴弘)っていなくなっちゃうんじゃない? と思ったら、佐古さんたちがいるうちに日本一のチームに入って、日本一のPGから勉強をしようと。『日本一のチームには何があるはず』という発想でアイシンに入りました」

――日本一のアイシンでは何を学びましたか?

「バスケって個人能力だけじゃないと知ったことですね。アイシンには佐古さん、外山(英明)さん、後藤(正規)さん、ノブさん、JR(桜木ジェイアール)とか日本を代表する人たちがいて、一人一人もすごいけれど5人の相乗効果から生まれるプレイは本当にすごくて、一人だけがいいパフォーマンスを持っていてもバスケはできないんだと知りました。今までやったことのないバスケで、勝つためには試合展開を読んだり、ゲームをコントロールしたり、いい時間帯を持続させるために我慢したり、チーム全員が何をするかわかっていて実行することが必要だと知った。だからアイシンに行ったことはすごく良かった。たぶん大学のままで終わっていたら、ボールをもらったら1対1やっているような単純なバスケットしかできなかったと思う」

――2シーズン在籍したのちにアイシンを退部。改めて聞きますが、その後、アメリカに渡った理由は?

「もともとアイシンには、2年くらいしかいるつもりはなかった。勉強のためと思っていたので。1年目は良かったんですよ。ノブさんがいて佐古さんがいて、試合に出られなかったけれどPGの勉強ができて。でも、2年目はやることをやっていたのに、試合に出られなかったのはつらかった。コーチは『澤岻のバスケで点を取ればいい』と言う。でも僕は点を取るだけなら大学と一緒だし、だったら2番(SG)で出たいと思ったけど1番(PG)で使われた。外山さんとかに話を聞いても自分のバスケに対する考えは間違っていないこともわかったし、そういうのも勉強になった。でも2年目が終わった時に、来年もし同じ状況だったら確実につぶれるし、この組織の中では自分のバスケを見失ってしまうと感じた。それでもっと個人を生かせるように、自分探しの旅に行こうと、今度はスキルアップのためにアメリカに行くことに決めました」

――大学の時に感じていたアメリカは漠然としたものだったけれど、アイシン退社後はスキルアップのための渡米だったのですね。アメリカで“自分”は見つけられましたか?

「アメリカでもマイナーリーグならば『やれるかな』という手ごたえや、日本人にもチャンスがあるということはわかりました。アメリカには個人的に教わっているトレーナー(ジェイソン・ライト氏)がいて、その人自身もNBAに挑戦していた人なんだけど、僕に『真剣に目指せばNBAに挑戦できる』と言ってくれました。これはアメリカに行かなければわからないことだったので、行ったことはよかった。でも、バスケ選手として生活していくにはマイナーリーグでは金銭面で厳しいものがあるし、何が何でもアメリカでバスケというわけではなかったんですよね」


自分探しの旅は終わり、沖縄を背負う人間へ

澤岻直人はこれからどこに向かうのか――。祖母を頼って初めてアメリカに渡ったのが大学時代。アイシン時代はオフになると自費で渡米し、トレーニングを積んでいたという。「真剣にアメリカでやることを考えていたわけじゃない」と言いつつも、いつもどこかで、自分にふさわしい場所を捜し求めていた。誰の目から見ても能力はすごいのに、それでも「自分探しの旅」に出掛けてしまうほど、現状に満足したことなど一度もない。
ただ、法政大時代は楽しかったという。自分が無理してやらなくても、苦しい時に得点を取ってくれる板倉令奈という心強い相棒や、山田謙治という頼もしい後輩がいたからだ。インカレのベスト4が最高成績だったけれど、少なくともフィーリングだけでプレイしてきた者が、周囲を生かすことを覚えたことで少しずつバスケットボールの奥深さを発見していった。そして、「勝つために何が必要か学んだ」アイシンを経て、「自分の居場所を探した」アメリカの旅も終わり、沖縄でバスケットボールを発展させるために故郷に戻ってきた。今度こそチームを勝たせるべく、自分探しの旅からはもう卒業しなければならない。

――沖縄にbjのチームができると知った時はどんな気持ちでしたか?

「いや、キングスができると聞いた時はアメリカのことしか考えてなかったし、キングスから誘われると思ってなかった。話を聞いているうちに、立ち上げに参加してみたいと思うようになった。実戦から遠ざかっていることも打破したかったので、自分のキャリアをもっと積み上げたいと思うようになりました」

――澤岻選手の中では、bjもJBLもアメリカも、どこでプレイしようと関係ないことですか?

「やっばり、レベル的にはbjよりJBLのほうが選手のレベルやゲームの質が高いというのはある。けれどバスケをすることに環境というか、プレイをすることに変わりはないじゃないですか。bjで優勝するのと、JBLで最下位ならどっちがいいかといったら、どう思います? 僕だったら、自分が中心になって優勝の可能性があるところでプレイしたい。自分を必要としてくれるチームで働きたい。その辺の考え方だと思うんです。マイペースな性格なので、今さら会社員なんてできないし(笑)」

――澤岻直人にとって「沖縄でバスケットボールをすること」とは?

「沖縄で地元の人に自分のパフォーマンスを見せられることは気持ちいいし、楽しいこと。環境的にも実家から通えることは楽だし、生まれ育った県内の人がサポートしてくれる環境は僕にとっては最高にいいもの。声援もありがたい。子どもが大勢見に来るでしょ。沖縄のプレイヤーもトップでやれるよ、って僕がやり方を示してあげることもできる」

――これは、澤岻選手を学生時代から見てきた印象なんですが、澤岻選手はいつも何かを探しているように見えました。自分探しの旅に出たということは、これまでどのカテゴリーでプレイしても現状に満足することはなかったということですか? そして今は澤岻選手が中心となるべきチームにいるわけですが、今の澤岻直人を動かす原動力は何ですか?

「確かに、今までのバスケには全然満足できてないです。僕、大切な試合では負けている数が圧倒的に多いんです。法政でも最後のインカレで4位がやっと。『負け』=『結果が出ていない』ということなのかな。結局、自分は今まで一番になったことがない。やるからには一番になりたいし、パーフェクトといえるパフォーマンスを見せたいし、結果を出したい。自分はもっとできると思いつつも、それ以上にできていない自分がいて、煮え切らない結果になっていく。上に行かないと見えないこともあるだろうし、上はどういう世界なのか感じてみたい。だから、強いチームで自分のパフォーマンスを発揮して優勝してみたい。これでいいんだ、こうやれば楽しいと思えるバスケットボールをやりたい。キングスをそういうチームにしていきたいんですけどね」

――自分が満足するために、結果を出すために必要なことは何だと思いますか?

「自分自身をもっと見つめること。自分がもっと成長しなきゃダメでしょう。もう、こんなに負けるのはイヤだから」


今回のインタビューでひとつ聞きたいことがあった。キングスの中で澤岻だけが極端にバスパンの丈が短いことについて、だ。澤岻の出身校である北中城高は全国でいち早く、膝下まであるパスパンでインターハイに登場したチーム。今でこそ、どんなウエアも取り寄せて買える時代になったが、澤岻が高校生の時は、実家のコザ周辺にあるアメリカ輸入品のウエアを揃える専門店に駆けつけては、内地にはないデザインの練習着に身を包んでいた。澤岻も例外ではなく、アグレッシブなプレイに時代の先端をいくピッグパンツが映えていたものだった。そんな澤岻が、今となってはちょっと不恰好ないでたちでコートに立っている。答えは実に単純明快なものだった。「長いとプレイするのにジャマだから」。

「バスパンは腰のところを折り曲げて履いています。長いのは好きじゃないんですよ。遊びでやる時は長くてもいいけれど、試合になるとジャマじゃないですか。レッグスルーの時とか引っ掛かったりするし。丈をワンサイズ短くして 幅が細いと動きにくいので幅をワンサイズ太くしています。格好よりパフォーマンスのほうが大事だから」
長いバスパンでウォーミングアップをし、試合になると短く実用的な姿に変身する。マイペースな半面、バスケットではクレバーだという性質を表しているエピソードである。

ホーム最終戦、澤岻が個人的に契約しているトレーニングコーチ、ジェイソン・ライト氏が沖縄まで観戦に来ていた。ライト氏は澤岻にこのようなメッセージを送った。
「ナオトの課題はクイックネスを身につけて、強い体を作ること、安定性を目指すこと。実はシーズン中もしょっちゅう電話をかけてきては相談されているんだ。だから今日は沖縄まで見に来たよ(笑)。彼はもっともっと伸びるよ。向上心が高い選手だからね」
澤岻はこのオフ、2、3か月間アメリカに渡り、ライト氏のもと、みっちりとトレーニングに励む予定だという。琉球の地でフランチャイズビルダーとして周りを生かし、個も生きるため。澤岻直人として、満足するためである。


写真:アフロスポーツ/bjリーグ


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